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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    二 町役人と町政
      町役人の職務
 町年寄・町代は、宗門人別改・防火・祭礼のさいの注意事項など町奉行からの指示を、町庄屋や組頭に伝達し、徹底させる職務があった。また、住人からの訴状や願書・届を吟味のうえ押印し町奉行に提出し、その返事を町庄屋に伝達する仕事もあった。
 以上のような事務的な職務のほかにも、領主が町役人に期待していたことがあった。それを示す史料が大野に残されているので、少し触れてみよう。町年寄に対しては、「役を大切に勤めよ」「公事や願がある時は留め置かず早速申し上げよ」「諸事同役と申し合わせよ」「すべて御用の儀については親子兄弟・親類などであっても贔屓するな」「音物を受け取るな」と申し渡しており、公平に忠実に勤務することが求められていた(宮澤秀和家文書)。
 一方、享和元年十月六日に町方庄屋・組頭へ申し渡された書付をみると、「町々に役人を置いているのは、第一に銘々が支配している町内の取締りのためであり、もし法を犯すような者がある時は早速意見するか、内々に申し出て差図を受けるかして、悪事をしないようにせよ。しかし、最近、ちょっとしたことで人の恨みを買うのはいやだとばかりに、見て見ぬふり、知らぬ顔をして、見逃しているのは不届きである。役人の心掛け一つで町内の風儀は正しくなり、悪事をする者は少なくなるので、日々町内の者に気を付けよ」「五人組の組合の者は相互に心を配り、不埒な様子の者と思ったら、早速庄屋・組頭まで内々に申し出よ。組合の者も油断しているような時は、町内の者が庄屋・組頭に申し出るか、町年寄へじかに申し出よ」「身元不明の者を宿泊させた場合には外出させるな。どうしても外出する場合には宿の主人が付き添え」「最近野荒しが多いので注意せよ」などとあり、庄屋・組頭には町内の治安維持を期待していたことがわかる(「大野町用留抜粋」土井家文書)。
 なお、先に述べた町代の上役に当たる府中町年寄の職務については、毎日町役所へ出て御用向評議などには参加するが、町中からの願書の取次ぎはする必要がなかった。また、掛屋役所の勘定や町中宗門改・女子改や地境などの見分には、町代同様出なければならなかった(浅井家文書)。
 次に住人と直結していた個々の町庄屋の一年間のおもな仕事を、文化年間のものと思われる府中大黒町庄屋桑野屋の記録から抜き出すと次のようである。府中町代も兼任していたので、一部町代の職務とみられるものもある(「武生町会所記録抄」高嶋文庫)。



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