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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    二 町役人と町政
      町奉行の職務
 町奉行の職務は、町の行政・戸籍・賞罰・治安の維持など多岐にわたっており、複数の町奉行が置かれていた町では月番交代で勤めていた。
 府中町奉行の場合、正月に博奕の取締り、三月に宗門人別改・五人組改・人馬数の調査、七月の盆踊の場所の指定、祭日の諸興行の取締りなどがあり、その他、随時家老・評定所からの諸触達しの町代への伝達や犯罪人の捕縛・吟味、節婦・孝子の表彰などの職務があった(『武生市史』概説篇)。
 文政初年に記された大野藩の町奉行の「年中行事」(斎藤寿々子家文書)を記した史料から、定例の行事をいくつか抜き出すと次のようであった。
写真130 大野城鳩門(元禄8年の「大野城破損修復之願絵図」

写真130 大野城鳩門(元禄8年の「大野城破損修復之願絵図」

 一月には、藩主に対する本人の年頭の挨拶のほかに、町年寄・御用達などの藩主への挨拶の手配、近隣の諸藩に対する年頭の使者の派遣、黒谷観音・篠座社・織田明神への代参の手配、京都・大坂の銀主への年始の手配などがあった。また、城内における大宝寺による大般若経の転読の手配もしなければならなかった。さらに、貧人に粥を施す施行が一〇日あり、このうち一日は自分の家で行った。その他、毎月行われた清滝社神主による祈外字の手配もあった。
 二月には、七日の清滝社祭礼における町人の監督のほか、初午の日の城内の鎮守の祈外字や八日の善導寺における施餓鬼、二十四日の京都の銀主への年始の手配などがあった。施餓鬼は藩主の忌日に行われたもので、一年に四回行われた。
 三月には、一日頃に垣・堀・江筋改、竃改の町年寄への指示、フェーン現象が起りやすい時期なので、町の見廻りや火の用心に対する注意などがあった。また、清滝社・春日社・熊野社・黒谷観音・篠座社などの春祭が続き、時には警備のため自分の配下の者を遣わすこともあった。
 四月は、初旬に山王社の祭礼、一日・六日に町方調達金の勘定、十四日に亀山の草刈があった。五月一日から宗門人別改が始まり、二十一日頃に前年の宗門人別帳を町年寄へ貸与した。また、五月中には差引証文留の吟味を済ませておかなければならなかった。
 六月には、一日・六日に町方調達金の勘定、初旬に亀山の草刈、新堀浚えがあり、十四日には白山堂の祭礼があった。また、町方から提出された町方人別他所稼帳の吟味や、町年寄・町庄屋などの藩主に対する土用御機嫌伺の手配などもあった。
 七月になると四日頃に七間町中店懸の願書が町方から提出された。この店はおそらく朝市のことであろう。六日には宗門改に取り掛かる日限を町年寄へ指示した。また、盆に関連して、火の用心や盆踊の刻限などの触を出した。
 八月四日・五日には、配下の者の弓・鉄砲見分、十五日には放生会があった。十七日には、宗門方よりの指示を受けて町寺方宗判日割を町年寄に達した。
 九月には清滝社・神明社・篠座社の秋祭があった。年貢収納が始まる時期でもあり、二十一日には、蔵から町方先納米の取払いを指示した。
 十月には、冬に備えて城内の雪垣をし、年貢の代金を決めるため十五日頃に幕府領本保手代や福井藩預所奉行から米相場書を取り寄せた。
 十一月一日には、逆に本保・福井へ米の相場書を提出し、六日には酒値段を決定し、十一日頃には先納米の差引勘定をした。二十一日頃に雪掻人足を月行事へ申し付けたり、川筋へ雪を入れないよう申し渡し、二十七日には玄関前・鳩門の雪掻が行われた。また、京都・大坂の銀主へ歳暮の使いを出した。
 十二月十六日に浮地年貢の上納があり、二十六日には年頭の挨拶について町年寄へ指示を出し、二十八日には、玄関前・鳩門の雪掻が行われた。施行は、この月も一〇日行われた。
 ほぼ定例のものだけでも以上のようであり、そのほかに触の達しや町方からの訴状や願書・届の決済などがあった。



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