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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    二 町役人と町政
      町役人の交代
 どの城下においても、町役人には有力な町人が選ばれた。とくに町年寄・町代は重要であったので、家格の高い者が選ばれた。町役人の交代は、大野に例をとると、本人が死亡した場合はもちろんであるが、年老いてきたり病気になったりして執務できなくなった場合や、火災で被害を受けたり商売が不振になったりして、執務に専念できなくなった場合が多い。時には藩主の不興をかったり、失敗があったりして退役させられている例もある(「大野町年寄用留」斎藤寿々子家文書)。
 町年寄の任免は、直接町奉行から申し渡されたが、町庄屋の任免は、まず、町奉行から庄屋役任免の達しがあり、それを受けて月番の町年寄が、任免される本人と当該町の組頭二人はもとより、非番の町年寄、他のすべての町庄屋を集めたうえで、月番の町年寄から当該町の組頭二人と本人に申し渡し、組頭から当該町の住人に触れさせるのが、大野では通例であった(「大野町年寄用留」斎藤寿々子家文書)。
 町役人が一人交代すると、後継者をめぐって複数の人が交代することが多い。例えば、月行事をも勤めていた大野七間西町庄屋宗右衛門が寛政十一年九月十六日に死去したことによって、二十六日に月行事後役に三番町庄屋理兵衛が、七間西町庄屋に同町組頭であった坂口屋利右衛門が十月十二日に任命され、同十六日に組頭後役として升屋久五郎が任命された。月行事に任命された理兵衛は、当時勤めていた浮地庄屋役を免じられ、七間東町庄屋六右衛門が浮地庄屋役に任命されている。この事例からみると、組頭は町庄屋見習的な存在であったようである(「大野町年寄用留」斎藤寿々子家文書)。



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