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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    一 城下町の発達
      町用水
 城下町を建設する場合に問題になるのは、飲料水をはじめとする生活用水や防火用水の確保である。若越の城下町の場合は、福井・府中・大野・勝山・丸岡など、ほとんどが扇状地末端の平地に立地しており、湧水や井戸が利用しやすかったと思われる。海岸に近い小浜の場合も井戸が主要な水源であった。しかし、井戸だけでは不足する町には次のように町用水が設けられた。
 福井は、足羽川が城下を流れているにもかかわらず、取水が困難であったため、遠く吉田郡志比境村から九頭竜川の水を引いて城内や家中、町人の生活用水としていた。これが芝原上水であり、本多富正が結城秀康の命を受けて設けたものといわれている。平素は生活用水であるが、有事のさいには城内への食糧の運搬という役割をもっていたといわれる。
 大野は、町の南部の本願清水を水源として、一番から五番までの南北の各町通りの中央に用水が通されていた。また、府中も、町の東側を流れている日野川の水を上流で取水し、北陸道の中央に用水が流されていた。これは古くからあったものを、慶長八年に本多富正が改修したものといわれている(「藤垣神社由緒記」)。
 これらの町用水は重要であったので、種々の禁令を出して水質を保っていた。府中には「川筋定法」があり、酒の道具、食物を入れた桶・鉢、紺屋の染物、大根の半切などを洗うことと種物を漬けることは許可されていたが、ごみ・あくたを捨てたり、臭いものを洗ったりすることは禁止されていた。幕末には館へ流れ込む町用水でおむつを洗った助産婦が打ち首になった例がある(『武生市史』概説篇)。



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