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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    一 城下町の発達
      近世城下町の成立
 城は防御のための施設であり、戦闘の形式が変化すると立地する場所も変化してきた。すなわち、弓矢・刀・槍をおもな武器とする時代には山城が主であったが、鉄砲が出現し戦闘の形式が変化して以後は、平野や盆地の中の平地または小高い丘陵の上に築かれた平城・平山城が多くなった。
 また、地形的位置だけでなく、質的にも変化した。戦乱が次第に治まってきて、支配する領域が広がり家臣の数も増加するにつれて、防御のための城から、権力を誇示するため、領内を統治するための城に変化してきたのである。すなわち、城の周囲に侍町を設けて家臣を集住させ、城に接して町人町(町屋)を設け、そこに商人・職人や寺院を集めて、領内の経済の中心となるような城下町を建設するようになったのである。
 越前・若狭の城についても、織田信長の支配がほぼ全域に及ぶようになった天正三年(一五七五)以降に築かれた城は、なかには天正中期のものと思われる敦賀郡の玄蕃尾城のような戦闘用の山城もあるが、従来の山城や狭い谷間の城ではなく平城・平山城である。城の周囲に侍町が設けられ、これに接して町人町・寺町が設けられていることも共通している。矢守一彦は、城郭と侍町・町人町の関係を発展系列を考慮に入れ図17に示すような五つに分類している。
図017 城下町の諸類型とその変容系列

図17 城下町の諸類型とその変容系列
注) 矢守一彦『城下町のかたち』による。



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