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 第三章 近世の村と浦
   第三節 山方の村々
     三 山の利用
      山方掟書
 山は、村にとって田畑の肥料・秣の採集地として、山畑・焼畑・山田の可耕地として、杪柴・薪・木の実・山菜など生活資源の採取地として、また用水源としても不可欠なものであった。そのため、山の利用については村法で厳しく規制されていた。一方領主は耕地の安定・用材調達などのため厳重な山林管理を行った。そのための諸法令は山方掟書・山方条目・山方法度書などと呼ばれる。藩政における山林担当役人は山奉行である。承応二年(一六五三)福井藩は初めて山方掟書を制定した(「家譜」)。それは、
 (1)「立山・立薮」の樹木は伐採してはならぬ。
 (2)「四壁」(家の回りや集落内)の竹木は手入れを怠らないようにすること。
 (3)「百姓持薮」は手入れを怠らないようにするのはもちろん、たとえ自家用の樹木を伐
   採する場合でも山奉行へ届け出て許可を得ること。
 (4)「さんばく」や「持山」の林となっている所では焼畑をしてはならぬ。ただし持山の林で
   ない所はいままでどおり畑を作ってよい。
 (5)柴山には一間に一本ずつ立木をおかねばならぬ。
 (6)松・杉・槻・桐はいままでどおり伐採してはならない。
 (7)家を造る百姓は山奉行に届け出て許可を得てから用材を伐採すること。
 (8)御用の竹木はたとえ所持山であっても、必要な時は、いままでと同じように自由に立
   ち入り、伐採してもよい。
 (9)古来からの「山剥」内に植林をして、そこを自分の持山にしてはならぬ。
と九か条からなっている。(1)から(4)にあげられた立山・立薮・四壁・百姓持薮・持山・山剥は当時の山林に一般的にみられるものである。
 次いで延宝五年(一六七七)には山方条目二六か条を制定した。いずれも山林をめぐる諸問題を具体的に列挙し規制を加えたものである。各藩もほとんど同内容の法令を制定し規制を加え、これに基づき「山林四壁竹木改」などを行っていた。以下これらを中心に山村において山がもっていた役割についてみてみよう。



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