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 第三章 近世の村と浦
   第三節 山方の村々
    一 山村の構造
      「むつし」と「あらし」
 個人の持山でも焼畑が行われ、焼畑のための外字山、売買・質入れも盛んに行われた。このため山主は持山のない小百姓に比べて絶対的に優位に立っていた。焼畑の適地として焼畑が行われ、また外字や売買などがなされる場所は、おもに雑木林や潅木帯の山の斜面で「むつし」と呼ばれた。この用語は白山麓から大野・今立・南条郡にかけて広く分布している。大野郡穴馬郷などではこれを「あらし」と呼んでいる。
 このむつしやあらしは焼畑の適地を指すだけでなく、焼畑そのものを指したり、焼畑から造成された常畑を指したり、放棄された場所まで指すなど様々であった。明治十一年の「暮見谷むつし絵図」二枚を見ると、九頭竜川支流暮見川の暮見谷一帯は大野郡暮見村の入会地で、一枚はその中央部が全部一面に「ムツシ」と塗りつぶされており、もう一枚はこの「ムツシ」の見取図で、その中には「現今作付」の区画が点々と散在している。このように相当広い範囲をもむつしと呼んでいた。
写真103 暮見谷むつし四方境絵図

写真103 暮見谷むつし四方境絵図




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