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 第三章 近世の村と浦
   第二節 平野の村々
     四 大用水をめぐって
      用水の支配
 弘化元年(一八四四)福井藩「用水御掟書」(松平文庫)の後書には、家老が連名で、この掟書は寛文九年(一六六九)の大火で焼失し、写を用いてきたが、これも破損したので、原文書のとおり写して与える旨の記載がある。成立年次は不明だが、江戸後期には藩政初期に成立したものとして、用水支配の基本とされたものである。
 これは二二か条よりなっており、そのおもな規定を列挙すると、(1)争論が起った時の取扱い、(2)時間を限って分水する切水、(3)用水路、(4)分水、(5)用水の両岸や用水幅、(6)水除堤・村囲堤・田地囲堤などの堤、(7)分杭・分石・胴木・江幅定杭、(8)橋下や筧下の通水、などである。そのほか役人の心得なども詳細に記されている。
 福井藩には数名の用水奉行が任命されており、多くの用水を管轄していた。また、それぞれの用水には用水組合がつくられ、それぞれの組合を維持・管理したのは井奉行・水奉行・井番・井役などと呼ばれた有力農民であったが、用水の諸慣行をめぐっての争論も多く、苦労の多い役職であった。



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