| 三大河川などの大河をせき止め、用水路に引き込む工事は、多くの労力と技術を要する大事業であった。その場合川の深さや、流れの速さなどによって、色々な技法が用いられた。 堰には、川に多くある玉石をただ積んだだけのもの、蛇篭と呼ばれる竹で編んだ縦長・横長の篭(竪篭・横篭)に玉石を詰め、周りに三、四本の杭を打ち込み、流されぬように藤蔓で縛り付けたもの、沈枠と称し木で組んだ四角の枠の側面に縦横に細い木を結び付け、玉石を入れて川底に沈め、周りに杭を打ち込んで藤蔓で固定したもの、また三俣・牛などとも称され、三角錐または三角柱を横にした形に木枠を組み、これに蛇篭や石を詰めた俵を入れ、川底に打ち込んだ杭に結び付けて固定したものなどがある。これに粗朶柴や莚などを結び付けることもあった。しかし玉石の間をくぐり抜ける洩れ水もあり、大水のさいには水が堰を越えることもあった。
 また、小規模な堰のなかには、川の中に何本かの杭を打ち、それに粗朶柴を結び付けたもの、胴木と称した角材を川底にすえ、これに柴を掛けたもの、杭に竹の簀子を掛け、それに莚を掛けたもの、石や砂を詰めた俵を積んだもの、たんに丸太を投げ渡したもの、石を積み上げたもの、大きな岩をいくつか並べたものなど様々であった。
 用水の取入口は、鳴鹿大堰のところで分れる裏川のように、たんに分流になっているものと、足羽郡の酒生用水・徳光用水などのように水門から取り入れるものがあった。
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