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 第三章 近世の村と浦
   第二節 平野の村々
     三 越前の割地
      福井藩寛文八年の割地
 寛文八年は、福井藩政のうえでいくつかの改革の行われた重要な年である。福井藩は早くから財政難に苦しみ、旧勝山藩領で当時は幕府領福井藩預りであった三万五〇〇〇石分の年貢を、明暦元年(一六五五)から幕府より借用し、期限が切れても延長を願って許されてきた。しかし福井藩は寛文五年に三年限りの延長を願うとともに、同八年以降七年間でこれまで一三年間分の借用米の返済を約束している。
 このように財政的に逼迫した時期であったから、藩としては極力藩費を節減し、高率の年貢を確保する必要があった。このため寛文八年、藩は藩領全域にわたって割地を命じた。この割地は上中下など等級の異なる田畑を組み合わせて、原則として村ごとに所持地の均質化を図り、経営能力に見合わない田畑を所持して没落する百姓をなくそうとするものであった。



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