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 第三章 近世の村と浦
   第二節 平野の村々
     三 越前の割地
      割地の起源
 割地は嶺南にはみられず、嶺北各地で広く行われた制度であり、畦直しとも称し、村内限りで内検地を行い、田畑等を割り替えて交換する制度である。
 これらのなかには、数年・一〇年・二〇年・五〇年といった一定の期間を定めて定期的に行うものや、とくに期限を定めずに村人からの要請があった時に行うものがあった。本来は田畑・宅地・薮・荒地・山・河川敷などすべての土地を対象としたが、新田や山や荒地に限って行ったものもあり、これらも広い意味での割地に含めてよいであろう。
 この制度の起源は、近世以前の古い共同体的土地慣行に起源をもつという見解もあったが、今日では太閤検地以降のものとされるようになった。すなわち、太閤検地によって村高が決定し、これが、よほどのことがない限りそのまま後世に継承され、年貢諸役などもこの村高を基準に一村単位でかけられ、村内では百姓各人が所持高相応に田畑を配分し、この所持高に応じて一村にかかった年貢諸役を勤めてきた。しかし村内ではしばしば土地の増減や等級の変化が起っており、長い年月の間には、太閤検地の時には上田であった土地が中田や下田になったり、河川の氾濫や山崩れなどによって土地がなくなってしまうこともあった。こうした村内での所持高と所持地の不均衡をなくすために始まったのが割地である。



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