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 第三章 近世の村と浦
   第一節 近世農村の成立
     三 村の共同と秩序
      村法の世界
 村法は、近世の農民相互間で、共同体的秩序を保つために取り決められる自主的な慣習法ないし成文法である。その成文化されたものを村極・村定・村掟・村法度などと呼んだが、その内容は多岐にわたっている。生産をめぐっては畦直し(内検・田地割)・用水管理・山林用益・漁場など、生活・社会秩序をめぐっては盗み・博奕・倹約と出精、遊び日・祝祭行事・寄進・紛議への対応など、また近世領主の支配下での公的側面として村役人の選出、村入用・人足の盛割なども村ごとに決められた。そしてこの村極は村人が自主的に決め、自律的に運用するもので、領主は介入しないのが原則であった。例えば、文化八年の事例であるが、三方郡新庄村で「小百姓」が盛割について「本家百姓」と出入を起して、この村独特の株割という方法を高割に改めるよう要求した時、三方郷方・郡方役所は「村法之義、裁許可申付筋ニも無之」(小林一男家文書 資8)と述べている。いわば、村法は領主支配とは別次元の、百姓の世界で作られている法、規制であった。近世領主は支配に差支えのない限り、村法の世界を容認しているのであるが、時には本節第二項で述べたように盛を高割にせよとか、枝村に庄屋を立てよとかの指示もすることがあり、他方村方からも村法次元の紛議を領主へ訴え裁許を求めることもあった。
 このように村極は、本来は村、時には郷の内輪の文書であるから、その内容は村や郷の内で通じればよいものであった。そのため、事情の説明を省いた記述や人名・地名などが記されていたり、時には誤字・当字もみられ、総じてその村の当時の事情を知らない者には読解も理解もむつかしい。しかし、それでも村極文書は、盛帳などとともに、村人の生産と生活の細部までをうかがい知ることのできる史料である。



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