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 第二章 藩制の成立
   第三節 藩政機構と家臣団
     二 諸藩の藩政機構
      司法制度と行刑
 行政機関と司法機関が分化していないのがこの時代の特徴である。したがって裁判は、「其筋之役人」、すなわちそれぞれの役筋の者が扱うこととされた(「評定所定書」津田悦生家文書)。郡中百姓にかかわることは郡奉行、町方のことは町奉行、また山論は山奉行、水論は用水奉行が担当したのである。民事に関することを公事出入筋、刑事にかかわることを吟味筋といっている。そして村役人や五人組まで咎められる連座や、親兄弟まで罰せられる縁座などによって連帯責任をもたせ、あるいは常時横目を徘徊させ、密告を奨励したのも江戸時代の特徴であった。
 公事出入筋は原告の訴状提出から始まる。訴状を目安とか目安状というが、提出には村役人を通すことなど経路がきちんと決められており、これを踏み外すこと、すなわち越訴は厳しく禁じられていた。また重ねて訴える「追目安」、他人に頼んで訴える「頼目安」も厳しく戒められている(上田重兵衛家文書 資7)。民事は後に述べる山論や水論を含めて、内済といって直接利害関係のない第三者を「・人」(調停人)として立て、当事者同士の熟談による和解が奨励されていた。もちろん実際に裁判に及ぶことも多く、その時は担当の役人に依怙贔屓のない公平な裁判が求められた。
 小浜藩では、村々で「申分」(もめごと)が起った時は、「其村中百姓郷組として扱」い、そこでの解決が不可能の時のみ訴え出ることとし(秦文書)、敦賀の例でもまず「町年寄惣代其町之肝煎五人組」などが相談し、少々の得失で済むようであれば「和平之調儀をなす」べきことが強調されている(那須伸一郎家文書)。裁判になった場合は、当事者が老人か幼少・病人のほかは介添人を付けてはならず、対決の場で役人が一方に助言することを禁じ、また簡単に理非決着を付けず、慎重に審議することを求めている(「評定所定書」)。また小浜での裁判に要する費用は、敗訴した者が負担するのが定めであった(秦文書)。
 なお、境界争いなど他藩との出入で解決できない時は、幕府評定所へ上訴することも行われているが、第三章第二節で述べるように、この場合は幕府の裁許に服さなければならなかった。



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