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 第二章 藩制の成立
   第二節 越前諸藩と幕府領
    四 幕府領
      幕府領の変遷
 貞享三年(一六八六)閏三月、福井藩の半知により二二万五〇〇〇石が幕府領とされ、預っていた「勝山御領分」(三万五〇〇〇石)も幕府領に返されたので、「公領保田分」(一万石)を加えて越前国内の幕府領は二七万石となった。
 このあと、元禄期(一六八八〜一七〇四)に入ると、四年の小笠原氏入封をはじめ、五年の大坂城代土岐頼殷と美濃郡上藩井上氏の拝知、八年有馬氏丸岡藩の成立、十年紀州徳川家の支藩高森・葛野両藩の成立などが相次ぎ、越前の幕府領は著しく減少した(表29)。元禄十四年の「越前国郷帳」によると、幕府領は村数三〇四か村(うち相給二〇)高一三万九二一〇石余であった。その内訳は坂井郡九九か村(うち相給四)六万一一〇五石余、今立郡五〇か村(うち相給二)二万三〇二六石余、大野郡五二か村(うち相給四)一万九〇七七石余、丹生郡五五か村(うち相給六)二万〇四九四石余、南条郡二九か村(うち相給四)一万四一九一石余、吉田郡三か村一〇五六石余であった。ところが、宝永二年(一七〇五)の葛野藩、正徳元年(一七一一)の高森藩(本庄氏)の廃止、二年の土岐頼殷の大坂城代辞任にともなう領地替えによって再び幕府領が増大している。しかし、享保五年(一七二〇)九月に、間部詮言が越後村上より鯖江に転封を命ぜられたことで幕府領は減少した。

表29 越前における幕府領の増減

表29 越前における幕府領の増減
    注1 数字は概数である.
    注2 元禄11年までは「正保郷帳」,同14年以降は「元禄郷帳」による.

 このように越前国内の幕府領は、諸大名の配置替えや廃藩によって大きく変動したが、鯖江藩の成立をもって越前に本拠をもつ諸大名領はほぼ確定し、幕府領もこの段階で一応の定着をみている。その後の幕府領の大きな変化といえば、宝暦八年(一七五八)に郡上藩に越前で九二三五石余が加増され、明和元年(一七六四)には大坂城代松平乗佑(三河西尾藩、六万石)が丹生郡などに三万七〇〇〇石を拝領したこと、文政元年(一八一八)に福井藩松平治好が二万石加増されたことなどで減少し、文久二年(一八六二)鯖江藩の一万石上知で増大をみせていることである。
 なお、越前における幕府領に関して、明治元年(一八六八)二月に福井藩が北陸道鎮撫総督に宛てた報告によると、越前国内の旧幕府領は、一一万〇三六七石余のうち飛騨郡代支配分が六万五〇二九石余で、残り四万五三三七石余が福井藩預所であった(「家譜」 資10)。



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