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 第二章 藩制の成立
   第二節 越前諸藩と幕府領
    四 幕府領
      幕府領の成立
 越前において、本格的に幕府領が成立したのは天和二年(一六八二)である。これより先、寛永元年(一六二四)松平光長の越後転封から大野藩など諸藩が成立する数か月間、同十年松平直政が信濃松本へ移った後の二年間、また同十二年の木本藩廃藩後の二年間、さらに正保元年(一六四四)勝山藩が廃されて生じた「勝山御領分」など、幕府領があった。しかし期間は短く、丸岡藩や福井藩に預けられて代官も置かれることはなかった。
 天和二年三月、大野藩主松平直明が播磨明石に転封したが、そのあとに入った土井利房が四万石であったために、残りの一万石が幕府領とされ、代官に井狩十助が任じられた。これが越前国内における最初の幕府代官支配所である(表28)。表中にある小物成等一四石一斗四合は、大野藩が丹生郡に持っていた小物成高一四石一斗一升から六合を引いた分である。大野郡保田村に代官所が設けられたことから「公領保田分」とも称されている。
表28 越前における井狩十助支配所

表28 越前における井狩十助支配所
  注1 小矢戸村は相給.
  注2 斎藤寿々子家文書「越前国村仮名附帳」
     などにより作成.

 なお、明暦元年(一六五五)白山の帰属をめぐり、大野郡内の白山麓を預所として所管する福井藩松平家と、加賀白山麓を領有する前田家とのあいだで争論が生じ、寛文七年(一六六七)幕府の裁定で「預所勝山領之内牛首十六ケ村并加州領二ケ村」が美濃笠松の幕府代官杉田九郎兵衛の支配所に編入され、白山麓牛首は福井藩の支配から離れた。その後、白山麓一六か村は「牛首分井狩十助支配所」として、笠松代官から保田代官の所管に移されている。
写真62 志比境村年貢免状

写真62 志比境村年貢免状



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