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 第二章 藩制の成立
   第二節 越前諸藩と幕府領
     二 大野藩と木本藩の成立
      木本藩
 直良は寛永元年の木本入封にともない、兄忠昌の家臣津田九郎次郎・斎藤仁兵衛を家老とした(「御年譜」『大野市史』史料総括編)。木本時代の治政についてはよくわからないが、寛永四年大野郡木本領家村の曹洞宗光(興)徳寺に宛てた直良重臣の寺地等寄進状には、山口太郎左衛門・縣茂左衛門・丹羽彦左衛門・小泉権大夫・斎藤甚兵衛の名がみえる(光徳寺文書 資7)。
 寛永九年の「堂嶋金山運上銀万算用目録」、同十一年の「堂嶋金山運上銀等皆済状」(伊藤三郎左衛門家文書 資7)から、堂嶋村には金山町が形成され繁栄していたことがうかがえる。「算用目録」によれば、前年の寛永八年一月から十二月までの分として、運上銀二貫三六二匁余、すり札残銀一九〇匁余、万分一銀一九五匁余など、計銀三貫九八〇匁余が藩に上納されている。
 寛永十一年に大野郡稲郷村の市右衛門に宛てた知行所年貢諸役皆済状に長谷部左近が署名している(土蔵市右衛門家文書 資7)。この史料から長谷部は開発村に知行地を所持していたことがうかがわれるが、知行高の記載はなく役職も不明である。なお、彼は同十二年の勝山三万五〇〇〇石拝領の折、お礼の使者として江戸に遣わされている。
写真55 越前国郷帳(福井藩に加増の部分)

写真55 越前国郷帳(福井藩に加増の部分)

 藩領は大野郡に二万二〇〇〇石余、丹生郡に二七〇〇石余(相給村を含む)、足羽郡二三〇石余である(表20)。大野郡内の村については現和泉村の一村、勝山市域の四か村を除いて大部分が大野市域にある。直良は寛永十二年八月勝山へ移封するが、そのさい木本領のうちから若猪野村など相給一村を含め一六か村、高五〇〇〇石を割いて加増された。その結果木本藩は廃藩となり、残り二万石は幕府領福井藩預りとなった(「家譜」)。福井藩は松原次兵衛・水野彦左衛門を代官として派遣し支配に当たったが、同十四年には福井藩に加増された(五畿屋文書 資7)。
 木本には城郭はなく木本領家村のうちに館が設けられたものと思われる。町立てがどの程度なされたかよくわからないが、寛文十年(一六七〇)の「木本町畠売券」(寳慶寺文書 資7)には「木本町」「木本町人」「町庄や」とみえる。



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