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 第二章 藩制の成立
   第二節 越前諸藩と幕府領
     二 大野藩と木本藩の成立
      大野藩領の変遷
 直政に与えられた五万石の村々は天和二年の土井利房の入封まで変化はなかった。大野郡のうちに四万四三〇〇石余、丹生郡のうちに四六〇〇石余(相給村・小物成を含む)、足羽郡四一〇石余、吉田郡六六〇石余である(表20)。丹生郡の海岸部に所領を持つのは勝山藩・木本藩にも共通している。なお、丹生郡内に置かれた大野藩領は西方領と呼ばれた。足羽・吉田両郡内に置かれた村は北陸道に出るまでの参勤時の人馬の調達のためであろう。大野郡内の所領は九頭竜川の左岸にあって、現在の和泉村・美山町の一部と勝山市の遅羽・鹿谷地区の全村を含み、大野市域は木本藩と分けあうかたちとなっている。

表20 大野藩・木本藩の領知構成
表20 大野藩・木本藩の領知構成
   注1 丹生・大野郡は小物成を含む.
   注2 土井氏大野藩領は「大野藩郷村高帳」(土井家文書 資7)により,他は山田雄造「寛永期における越前の藩領につ
      いて」(『福井県史研究』第11号)収載の表により作成.

 先述したように土井利房は四万石で入封し、残る一万石は幕府代官井狩十助が支配するところとなった。一万石は吉田郡にあった二か村と勝山市の遅羽・鹿谷地区の村々および赤根川・真名川が九頭竜川に合流する近辺の村々がそれに該当する(後掲表28)。土井氏大野藩四万石の内訳は大野郡内に一町七八か村三万四九〇〇石余、丹生郡内に一三か村四六〇〇石余、足羽郡は変化がなかった(表20)。
 なお、丹生郡大明神村の劒社に対しては、従来の社領三〇石に加えて、寛永五年直政より新たに改出高二一石三斗二升五合が寄進され、土井氏もこれを踏襲している。



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