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 第二章 藩制の成立
   第一節 福井藩と小浜藩の成立
    四 小浜藩の成立
      法度による支配
 寛永十一年八月に若狭へ入部した忠勝は、江戸への下向をまじかに控えた同年十一月、その後の藩政の基本方針ともなるいくつかの条目を定めた。国元での政務の責任者である年寄衆(老役)には一五か条の条目、小浜・敦賀の町奉行にはそれぞれ一二か条、一五か条の条目、京都屋敷の留守居には一一か条の条目を出し、村々へは年寄衆等の連名で「御郷組相立候条々」と題する九か条の条目を出した。
 年寄衆への条目の第一条は、国中および家中へ法度・仕置を油断なく申し付けること、第二条は、城中各所にある番所の目付による日々の改めと年寄による見廻り、第三条は、不測の事態への対処、第四条は、家臣の普請役の期間と負担、第五・六条は、政務を相談しまた訴訟を取り扱う寄合の月三度の開催とそこへの出席者、第七条は、他国からの用件への迅速な対処、第八条は、鉄砲の玉薬調合の日時、第九条は、武道具の管理、第一〇条は、勘定の厳正な執行、第一一条は、国中での出来事と大津での米値段の月二度の忠勝への報告、第一二・一三・一四条は、徳川秀忠の娘であり明正天皇の母でもある東福門院和子や板倉重宗など上方にいる幕府役人へ月々肴を贈ること、第一五条は城周りおよび近所の橋の破損修復を定めている(「旧藩秘録」)。
 小浜町奉行に出された条目は、一二か条よりなるが、第一条では訴訟の公正な取扱いを定めている。第二条から第八条までは町人への申渡しであり、第二条はキリシタン禁制、第三条は町人の徒党禁止、第四条は不審者の通報、第五条は往還の者への宿銭・駄賃銭等の旧来どおりの運用と諸商人への迷惑停止、第六条は町中の火の用心、第七条は人身売買の禁止と奉公の一〇年年季、第八条は小浜に用を調えに来る大名家臣や商人への慮外な扱いの禁止が定められている。第九条以下は町奉行に対するもので、第九条は空家の取扱い、第一〇条は竹木の無断伐採禁止、第一一条は私的な人馬使用の禁止、第一二条は町人百姓からの金銀米銭等の受納禁止が定られている(「酒井忠勝書下」)。
 敦賀の町奉行へのものは、一五か条であるが、一二か条は小浜町奉行へのものと同じ内容であり、ほかに小浜への往来、道口駄別銀の取扱い、納銀の小浜への送付の規定が付け加えられている(「酒井忠勝書下」)。
 九か条からなる村々への法度の第一条は徒党の禁止、第二条はキリシタン禁制、第三条は不審者の隠置き禁止、第四条は走百姓の穿鑿とその跡の措置、第五条は走百姓の注進と違反した時の過料、第六条は走百姓の道具を預かった者の罰則、第七条は代官の非分の訴え、第八条は鷹匠・ゑさし・鳥見などの非分の訴え、第九条は怠りない年貢納入を定めている(荒木新輔家文書 資9)。



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