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 第二章 藩制の成立
   第一節 福井藩と小浜藩の成立
    二 福井藩の成立
      北庄城の再建
 城下町建設のことも急がれた。北庄城と城下は、柴田勝家の敗死の時破壊されたので、領国経営の中心地として城下町を整備・拡張し、また封建支配の象徴としての城郭を再建しなければならなかった。慶長六年九月、清水孝正を惣奉行として起工し、十一年にはほぼ成就したと伝える。南側を流れる足羽川を天然の外堀として利用したが、後年の絵図を見ると、右岸は石垣が積まれて護岸も厳重であるのに対して、対岸には桃林が広がっている(口絵4参照)。左岸を遊水池として城郭を洪水  から守るためとみられ、封建領主の施策として注意される。本丸を中心に三、四重の堀を廻らせ、おおむねその内側を侍町、外側を町人町とし、またそれを包み囲むような形で寺が配置されたのは、城下防衛の配慮に出るものにほかならない。なお、秀康の封建支配に威容を添えた天守閣は、寛文九年(一六六九)の大火で焼失したが、その後再建されることなく終った(第五章第五節)。



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