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 第一章 織豊期の越前・若狭
   第二節 織田期の大名
    一 柴田勝家の越前支配
      勝家の国中掟書
 全体で七か条からなるこの掟を簡単に紹介すれば次のようになる。必要な人夫徴発は勝家の印判のある催促状をもって行うこととし、その他の人夫徴発はたとえ人夫賃を支払うというやり方でも認めない。いま北庄城普請に人夫が必要ではあるが、なによりも農民が耕作に専念しうるようにこうした措置をとるのである(一条)。名主・百姓のもつ内徳と小成物(年貢以外の雑税)は先々どおりに認める(二条)。勝家が派遣する使いの者に対する接待は、一汁二菜・中酒一杯などに制限する(三条)。反銭など銭納入の時は、高札で示したように三増倍(銭の種類。精銭の三分の一に換算される銭か)をもって納入すること(四条)。百姓は新たに誰かの家来になってはいけない。また、信長直臣に仕える家来が、鞍替して勝家の家来になることも禁止する(五条)。勝家が印判で承認したほかは、山林竹木の伐採はいっさい禁止する(六条)。百姓が居住の地の課役を逃れるため他郷へ移住することは禁止する(七条)。
写真10 柴田勝家申出条々

写真10 柴田勝家申出条々

 この掟は荒廃状況にある農村復興を重点政策としつつも、城普請などに必要な人夫と用木を勝家の統制下に置こうとするものである。また、給地支配をめぐって紛争の原因となっていた百姓の内徳は認めたが、百姓の抵抗を排するため家来化と移住を禁じている。信長直臣に仕える家来たちが勝家の家来になることを禁じたことは、信長直臣に対する保護といえるが、彼等直臣が新たに百姓を家来化して勢力を拡大することはできなくなった。全体としてこの掟は、武士と農民の動向に制約を加えて、両者の対立が激しくなることを防ぐとともに、勝家の基本政策である農村復興と城および城下町建設を貫こうとして出されたものであった。



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