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コラム#ふくいの記憶に出会う Fukui Prefectural Archives

デジタルアーカイブ福井で戦前のすごろく画像を公開!

はじめに

2022年6月、「デジタルアーカイブ福井」で戦前の子ども向けすごろく画像13点を公開しました。本コラムでは、その中でも特に当時の世相を表している3点を紹介します。

目 次

  1. 「少年歴史地理双六」1910年(明治43)
  2. 「少年飛行双六」1912年(明治45)
  3. 「少女思ひ出すごろく」1913年(大正2)
  4. おわりに

1.「少年歴史地理双六」1910年(明治43)

「少年歴史地理双六」(坪田仁兵衛家文書)C0005-01210

 このすごろくは雑誌『少年世界』の1910年(明治43)新年号の付録です。『少年世界』は日清戦争の戦勝機運が高まる1895年(明治28)1月、博文館より創刊された少年向け雑誌です。
 このすごろくの発案者「小波」は児童文学者巌谷小波(1870~1933)のことで、『少年世界』主筆を務めました。実はわたしたちが今でも親しんでいる『桃太郎』などの多くの民話を子ども向けに書きなおし、広めた人物でもあります。子ども向けすごろくにも多く関わっており、今回紹介する3点はすべて巌谷小波が発案したものです。
 さて、すごろくの中身をみていきましょう。 ふり出しは「東京」で、時計回りに進んでいきます。まずは太平洋側を通って中央の「宮城(皇居)」が上がりとなっています。各地のマスには、歴史上の人物やゆかりの寺社、その地で起こった出来事などが描かれています。当時日本の領土であった「台湾」や「樺太」(正確には南樺太)、保護下にあった朝鮮(「平壌(ピョンヤン)」)のマスもあります。

「樺太」のマス

 「福井」のマスには、新田義貞と藤島神社が描かれています。義貞のほかにも、「神戸」のマスには楠木正成と湊川神社が、「船上山」(鳥取県)のマスには名和長年が描かれており、南北朝の動乱において南朝方に属した武士が多く取り上げられていることがわかります。
 ちなみに当時の国定教科書『尋常小学日本歴史』(1909年(明治42)発行)では南北朝並立の立場をとっていましたが、1911年(明治44)に教科書が改訂されて以降、南朝を正統とする考え方が第二次大戦敗戦時まで支配的となりました。

「福井」のマス

2.「少年飛行双六」1912年(明治45)

「少年飛行双六」(坪田仁兵衛家文書)C0005-01222

 先ほどと同じく雑誌『少年世界』の付録です(1912年(明治45)新年号)。ただ「少年歴史地理双六」とは違い、サイコロの出た目によって指定されたマスにとんでいくタイプのものです。
 1903年(明治36)のライト兄弟による動力飛行の成功以降、日本においても動力付き飛行機の研究が行われるようになりました。日本で動力付き飛行機による飛行に初めて成功したのは、1910年(明治43)12月19日の軍による飛行演習でのことです。また、1911年(明治44)5月には早くも、国産民間機の初飛行が成功しました。そのような時代ですから、このすごろくからは当時の少年たちの飛行機に対する期待やあこがれが感じられます。
 では、詳しくみていきましょう。 まず右上のふり出しに注目すると、「ヂャア 行って来ます 少年諸君萬歳!」と飛行機に乗った少年が勇ましく出発する様子が描かれています。暴風雨や墜落に注意しながら、陸戦や海戦を見物したり、自動車と競争したり、さらには火星探検(!)と、なかなか楽しそうです。「自動車と競争」と聞くと、現代ではもちろん勝負になりませんが、当時の飛行機の最高速度は時速70キロ程度ですので、この頃はいい勝負だったのでしょう。

「自動車と競争」のマス

左下の「飛行競争」のマスには、単葉式と複葉式の競争の様子が描かれています。当時は主翼が上下に2枚以上の複葉式が主流でしたが、第一次世界大戦以降、技術の進歩に伴い、次第に単葉式が主流となっていきました。

「飛行競争」のマス

3.「少女思ひ出すごろく」1913年(大正2)

「少女思ひ出すごろく」(坪田仁兵衛家文書)C0005-01225

 『少年世界』の姉妹紙である『少女世界』の1913年(大正2)新年号付録です。ふり出しの「お人形」から上がりの「大正の春」まで、親元を離れて暮らす女学校生徒の幼少期からの思い出をテーマとしています。先ほどの「少年飛行双六」の物語の展開や上がりのシーンと比較してみるのも面白いですね。
 全体を通してみると、ひな人形や絵草紙などの伝統的な日本文化が描かれるいっぽうで、ファッションやスポーツ、旅行といった新しい生活の様子も描かれています。
  では、まずファッションに注目していきましょう。全体的に色鮮やかな着物姿ですが、「球あそび」「初旅」のマスでは動きやすさのためか、袴姿で描かれていることがわかります。このようないわゆる女袴の着用は下田歌子(1854~1936)が優美さと実用性を考慮して創案したものと言われています。1880年代までは、特権階級である華族の子女のみが袴を着用することを許されましたが、1898年(明治31)に東京女子高等師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学)で袴の着用が規定されてからは、全国に普及していきました。

「初旅」のマス

 次に髪型ですが、描かれている髪型は明治後期から大正期に女学校で流行した「庇髪(ひさしがみ)」とよばれる前髪を大きく振り出したものです。頭髪につけるリボンも色とりどりでかわいらしいですね。リボンは他の装飾品に比べ安価であることから、当時の小学生の女児から高等女学校の生徒に至るまで浸透しました。
 「球あそび」のマスには、ソフトテニスのラケットとネットが見えます。二人並んでいるところをみるとダブルスでしょうか。ソフトテニスは明治後期から大正期にかけて女学校で盛んに行われました。福井県内でも盛況だったようで、少し時代は下りますが、1925年(大正14)8月11日の『大阪朝日新聞』には、大野高等女学校(現・大野高等学校)が県内の大会で優勝したという記事があります。

「球あそび」のマス

4.おわりに

 以上、3点の子ども向けすごろくを紹介してきましたが、いずれも当時の世相を表しており、歴史資料としても大変興味深いものがあります。当館で保管しているすごろくは、これまでも「複製シート」という形で、学校現場や公民館等で利用されてきました。今回、新たにインターネットで画像公開したことで、さらに活用の幅が広がることを期待しています。

田川 雄一(2022年(令和4)7月27日作成)

【今回公開したすごろく画像一覧】
 資料名をクリックすると「デジタルアーカイブ福井」の画像ページにリンクします。

 NO 資料番号  資料名  年代 
 1 C0005-01210 新案海戦将棋  1904年(明治37)
 2 C0005-01217 新案競馬遊戯 1906年(明治39)
 3 C0005-01218 開国五十年双六 1908年(明治41)
 4 C0005-01219 日本十五少年双六  1909年(明治42)
 5 C0005-01221 少年歴史地理双六 1910年(明治43)
 6 C0005-01222 少年飛行双六 1912年(明治45)
 7 C0005-01224 日本名婦双六  1913年(大正2)
 8 C0005-01225 少女思ひ出すごろく 1913年(大正2)
 9 C0005-01226 飛行自動車双六 1913年(大正2)
 10 C0005-01234 家庭教育世界一周
すごろく
1926年(大正15)
 11 C0005-02072 冒険壮遊双六 1908年(明治41)
 12 C0005-02073 太閤出世双六 1914年(大正3)
 13 C0005-02091 太平洋決戦双六 1942年(昭和17)

参考資料、URL(すべて2022年7月21日参照)

・今田絵里香『「少年」「少女」の誕生』(ミネルヴァ書房、2019年)
・国立国会図書館「本の万華鏡 第5回 ようこそ、空へ―日本人の初飛行から世界一周まで―」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/5/
・難波知子『学校制服の文化史-日本近代における女子生徒服装の変遷-』(創元社、2012年)
・福井県文書館 これまでの展示「つかって複製シート-すごろくと地図-」         https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/08/m-exhbt/201301AM/201301.html
・福井県文書館 令和4年度企画展示「地味にすごい!? 明治時代の学びと学校」
 https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/08/2022exhb/2022exhb/2022exhb.html
 ※今回紹介したすごろく(複製)を展示。実際に体験することも可能(~2022年8月24日)。