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『福井県史』通史編2 中世
鎌倉幕府の成立 三 守護と地頭・御家人の動向 「下人」と荘の預と借上 新たに補任された守護・地頭と現地の人びととのこのよう...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-02-03-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
当時の円覚寺の山本荘領有権はもと造営料所で、かつ地頭職の系譜を引くものと思われる。至徳元年(一三八四)に初代僧...に永代寄付している(『大徳寺文書』)。春近郷は、南北朝期に地頭職の半分が若狭国の御家人の本郷家泰に勲功の賞として充行われたり(資2...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-07-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
鎌倉初期には地頭が置かれていたが、建永元年(一二〇六)に興福寺がこれを訴え、院宣によって将軍源実朝が地頭基員を停止した...らである(『尊卑分脈』)。その後、承久の乱後に没官領として地頭が再び置かれ、「武蔵局」という人物が補任されたが興福寺側か...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-04-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
すでに述べられているように( 一章六節三参照 )、鎌倉期には女性が地頭や預所として活躍している。彼女たちは御家人の娘であったり、...の西念をもって公事を負担したとされており(お函一)、横暴な地頭などに対しつつ、名主として種々の公事を果たしていくことは女...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-05-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
西福寺文書に多見する山内氏は、敦賀郡野坂荘櫛川郷の地頭職をもち、櫛川郷を所領として「櫛川殿」と称され、先の山内首藤家の一族と考えられる。... 西福寺文書一号)。観応元年(一三五〇)、山内重経が櫛川郷地頭給の田地の一部を売却しているから(同二号)、山内氏と櫛川郷...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-02-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
しかし少なくとも寛喜元年には、忠時自身は若狭から姿を消し、その所領一六か所の地頭職を没収されたことは間違いないところで(同前)、後年の状況...は二階堂氏、三方郡前河荘は殖野(上野)為時がこれに代わって地頭に補任された。 ただ若狭忠清は兄の事件とは関わりなく九か所...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-02-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
金津住人木下西信房らが、加賀国菅生敷地(石川県大聖寺市)の地頭狩野忠茂の下人藤二郎を金津上野で殺害し銭貨一六貫七〇〇文な...景は知りがたいが、金津住人がおそらく顔見知りであった近隣の地頭下人を殺害していることからみれば、単なる強盗殺人とも思えず...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-05-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
承久の乱後に地頭若狭忠清の横暴に苦しんでいた荘民たちは、領家の預所として荘に下ってきた定宴の指導のもとに地頭の非法を訴え...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-02-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
国人層の活動 国人層 国人とは、室町・戦国期において、地方の地頭・荘官や有力名主らが自立して在地に支配力を及ぼし、荘園領主...られる堀江氏、また、鎌倉幕府御家人として若狭国大飯郡本郷の地頭職を得て若狭に下り、室町期には奉公衆を務めた本郷氏をとりあ...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-01-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
、近江国の京極高秀・朽木頼氏ならびに浅井・伊香・坂田三郡の地頭・御家人を発向させた(資2 内閣 朽木家古文書五号)。金ケ...合戦で討死し、子息の龍松丸がその本領大野郡羽生・新庄・下庄地頭職の安堵を受けたが、暦応三年にいたってなおその知行に苦慮していた(資2...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-01-05-03.htm