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『福井県史』通史編2 中世
太良荘における建武元年の地頭代脇袋頼国排斥の惣百姓一揆、延文元年から同三年の禅勝・実円排斥の惣百姓一揆、同三年の地頭代宮河弾正忠排...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-02-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
武家政権の成立と荘園・国衙領 第二節 鎌倉幕府の成立 二 稲庭氏の没落と東国地頭の入部 若狭国御家人交名の注進 後白河の死後、そのあとを追...える御家人制、王朝から与えられた諸国守護権にもとづく守護・地頭制を、制度的に確立させるべく本格的に動き始めた。 頼朝は同...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-02-02-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
すでに述べられているように( 一章六節三参照 )、鎌倉期には女性が地頭や預所として活躍している。彼女たちは御家人の娘であったり、...の西念をもって公事を負担したとされており(お函一)、横暴な地頭などに対しつつ、名主として種々の公事を果たしていくことは女...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-05-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
鎌倉初期には地頭が置かれていたが、建永元年(一二〇六)に興福寺がこれを訴え、院宣によって将軍源実朝が地頭基員を停止した...らである(『尊卑分脈』)。その後、承久の乱後に没官領として地頭が再び置かれ、「武蔵局」という人物が補任されたが興福寺側か...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-04-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
西福寺文書に多見する山内氏は、敦賀郡野坂荘櫛川郷の地頭職をもち、櫛川郷を所領として「櫛川殿」と称され、先の山内首藤家の一族と考えられる。... 西福寺文書一号)。観応元年(一三五〇)、山内重経が櫛川郷地頭給の田地の一部を売却しているから(同二号)、山内氏と櫛川郷...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-02-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
しかし少なくとも寛喜元年には、忠時自身は若狭から姿を消し、その所領一六か所の地頭職を没収されたことは間違いないところで(同前)、後年の状況...は二階堂氏、三方郡前河荘は殖野(上野)為時がこれに代わって地頭に補任された。 ただ若狭忠清は兄の事件とは関わりなく九か所...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-02-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
金津住人木下西信房らが、加賀国菅生敷地(石川県大聖寺市)の地頭狩野忠茂の下人藤二郎を金津上野で殺害し銭貨一六貫七〇〇文な...景は知りがたいが、金津住人がおそらく顔見知りであった近隣の地頭下人を殺害していることからみれば、単なる強盗殺人とも思えず...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-05-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
国人層の活動 国人層 国人とは、室町・戦国期において、地方の地頭・荘官や有力名主らが自立して在地に支配力を及ぼし、荘園領主...られる堀江氏、また、鎌倉幕府御家人として若狭国大飯郡本郷の地頭職を得て若狭に下り、室町期には奉公衆を務めた本郷氏をとりあ...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-01-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
承久の乱後に地頭若狭忠清の横暴に苦しんでいた荘民たちは、領家の預所として荘に下ってきた定宴の指導のもとに地頭の非法を訴え...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-02-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
、「御使」による所務引渡しが実現し、東寺は寄進された太良荘地頭職を初めてわが手にしたのである。 図19 佐々木氏略系図 ...を願うとともに、在地における直阿の対抗勢力として脇袋頼国を地頭代に起用する。脇袋氏はかつて得宗により太良荘末武名名主職を...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-01-02-03.htm