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『福井県史』通史編2 中世
とりわけ今富名には小浜が含まれており、今富名領主には小浜に入港する船から「入船馬足料」...第二節 守護支配の進展 三 若狭の守護支配機構と国衙 山名氏の今富名領有 貞治二年九月、長年反幕府陣営にあった山名時氏が幕府...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-02-03-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
別名として最大規模であった税所今富名に関しても、南北朝期以後には「三方今富」「国富庄今富」とあるように、近辺の所領に吸収...で(「紀氏系図」裏書、資9 羽賀寺文書二二号)、今富名中心部が税所今富荘として存続したほかは、これら小規模の国衙別名は周辺の所領に吸収され消滅したのであろう。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-06-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
詮範は税所今富名を得て、ここに一色氏は初めて若狭の一元的支配権を手にした。詮範はさっそく守護代小笠原長房を今富名代官に、...二 一色氏の国衙掌握と領国支配機構 一色氏の国衙掌握 税所今富名がまだ山名氏の領有下にあった嘉慶元年(一三八七)、若狭に...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-02-02-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
貞治三年(一三六四)税所今富名を獲得した山名氏の代官は政所と宿をそれぞれ問の心性と道性...に一色氏の守護所は西津に置かれていたが、税所代官・又代官は今富名の湊として水陸交通の要衝に発展した小浜湊に駐在した。明徳...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-02-02-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
護代・小守護代と並んで「小浜代官 今富」がみえている(ヌ函一八六)。このように「今富」と記されていることからして、一色氏...の代には守護代が兼ねることの多かった税所・今富名代官が守護代から分離して小浜代官と称されるようになったものかと推定される...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-02-04-05.htm -
『福井県史』通史編2 中世
大飯郡では恒貞・友次・鞍道浦、遠敷郡では今富名の中心である小浜をはじめ賀尾・阿納・犬熊野・志積・矢代・...得宗が地頭職を有した若狭国内の所領は二〇か所を下らず、税所今富名などをも加えた田数は国全体の三分の一にも達する状態にあった(本章五節三参照)。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-03-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
若狭守護は税所が支配する今富名を領知するのが例となっている。そこで税所代官を任置したが...は西津に置かれていた。しかし守護代・小守護代あるいは税所と今富名の代官・又代官は小浜湊に駐在することが多くなった。先述の...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-02-04-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
のち、元弘三年八月十日に若狭国司となり、旧得宗領である税所今富名の領主にもなっている(「税所次第」)。公賢は当時有数の文...伊賀氏は鎌倉幕府の有力御家人として幕府評定衆などの要職に就いてきたが、兼光の父光政は若狭国税所今富名(得宗領)の代官として得宗に奉公しつつ、一方で遠敷郡津々...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-01-02-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
在京奉行 一色氏の若狭支配機構で南北朝期から変わった点は、税所今富名関係諸職が加わったこと、守護代の在京が常態となり、そのた...氏は丹後守護代を務めたことがあり(ト函九二)、石河氏は若狭今富名代官にもなったことがある(表27)。 目次へ 前ページへ...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-02-02-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
る権限を有するとともに、小浜を含んだ遠敷郡内の主要部である今富名を統轄した小浜代官であった。粟屋元隆がこの職に就いたのは...ど小浜を中心とした商業活動についても影響を及ぼした。さらに今富名をはじめとする税所管理下にある土地についても権限を有して...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-04-01-01.htm