季節の“一品”、いただきます!-江戸時代のふくいの食-
「ふくいを代表する食の名物は?」と質問されて、わたしたちは何を思い浮かべるでしょうか。
江戸時代に人びとが食べたものは、ふくいの自然や歴史・文化を背景とした、季節感に富む、ふくいならではの食べ物が多くみられます。
展示では、古文書からうかがわれる現代につながるふくいの食文化を紹介します。
会期
2020年2月21日(金)~2020年4月12日(日)※終了しました
福井藩御料理方とは?
年未詳「諸役人并町在御扶持人姓名(九)御料理方御菓子方椀奉行」
松平文庫(当館保管)A0143-01004
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江戸時代後期の福井藩の人事記録のうち、御料理方を務めた野村家の人事履歴の部分です。
御料理方の主な職務は、御膳番の下で、平常三飯のさいに御膳番に献立について伺い、承認を受けたのち調理・配膳することのほか、儀式や年中行事に関する料理を調進すること、例えば将軍から藩主に贈られた鶴を料理する「鶴包丁」や、年越しのさいの豆まきなどがありました。
また御料理方は、野村家のように、料理の責任者とみられる「御塩梅役」や、夏になると将軍家などに贈られる御用雲丹の調進にあたる「塩辛役」を務める場合もありました。
鯨のお返しは、越前の雲丹で
1868年(慶応4)「御側向頭取御用日記」
松平文庫(当館保管)A0143-00526
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松平春嶽の動静を記録した「御用日記」です。1868年(慶応4)の夏、紀伊藩主徳川茂承から春嶽のもとに暑中見舞いの直書とともに「鯨粕漬一桶」が贈られました。
これに対し、春嶽は暑中見舞いの返書とともに月成奉書一束と「雲丹二合入五箱」を贈っています。
冬のふくいからの贈り物 寒鱈と蟹
1840年(天保11)「少傅日録抄」
松平文庫(当館保管)A0143‐01107
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松平慶永付側向頭取の業務日記「少傅日録抄」の天保11年12月の記事によると、当時13歳の江戸在府の藩主慶永のもとに鰈・小鯛などとともに「一番寒鱈」などが届けられ、寒鱈はただちに将軍家に献上されました。
この時の寒鱈などの一部は、「殿様(慶永)御用」とされ、寒鱈一尾は慶永が食したほか、慶永の儒学の師の成島邦之丞(司直)らにも贈られました。
なお、この時慶永は、「兼ねてご所望」であった松平日向守(糸魚川藩主松平直春か)に「蟹一甲」を贈っています(同年10月8日には雲丹)。
大名のお月見の食
年未詳「年中御式帳」
松平文庫(当館保管)A0143-20735-004
江戸時代後期、福井藩の年間の式日(儀式や年中行事)のさいに、藩主に供する膳の覚書で、藩御膳番の職務に関係の深い資料です。
式日の膳には熨斗鮑や松葉鯣など伝統的な食材が多くみられますが、八月十五日の月見には、「団子と里芋の味噌煮」が供されています。
なすびと刺鯖で一杯-ある夏の日の膳-
1825年(文政8)「覚(御宿御奉行様御立之跡3か村ふりまい、献立の覚等)」
松田三左衛門家文書(当館蔵)A0169-01395
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福井藩の御用雲丹の産地である丹生郡南菅生浦、坂井郡北菅生浦・長橋浦の「三か浦」は、毎年夏になると藩御料理方(塩辛役)らが雲丹の調製のために訪れ、多くの浦人がこれに従事しました。
資料は、1825年(文政8)の夏、5日間におよぶ「雲丹御用」が済み藩役人が去ったあと、三か浦の庄屋・長百姓ら村役人の「ふりまい(振舞い)」のために供された料理の覚書です。
夏のご馳走「煮ものなすび」や「刺鯖(背開きした塩鯖)」とともに酒を楽しみ、役務が済んで安堵している三か浦の村役人たちの様子が想像されます。
意外な名物 -底喰川の蜆-
「真雪草紙」(明治14年校了)
松平文庫(当館保管)A0143-21554
福井藩17代藩主であった松平春嶽は、藩の歴史・地理に関する故事逸話を収録した「真雪草紙」を著しました。
同書はある老人の物語として、6代藩主松平昌親(8代藩主松平吉品(よしのり))が底喰川(現福井市街地のほぼ中央部を西流)に蜆を放ち、福井の名物になったと伝えています。
雲丹御用のための人足は?
年未詳「覚(御膳雲丹仕込申為御用人足受取)」
松田三左衛門家文書(当館蔵)A0169-02030
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福井藩御料理方塩辛役の青山與兵衛・野村吉蔵の覚書で、雲丹御用のために「三か浦」(丹生郡南菅生浦、坂井郡北菅生浦・長橋浦)に赴いた際、南菅生浦分だけで5日程度で、のべ百数十人もの浦人が人足として雲丹御用に従事したことを証したものです。
油揚げが好き -豪農の買い物記録から-
1859年(安政5)「諸払方日記帳」、1860年「金銀出入覚帳」
坪川家文書(当館寄託、整理中)
全国の都道府県庁所在市及び政令指定都市のうち、福井市は油揚げ・がんもどきの家計消費支出は1位、餅の家計消費支出は4位です(総務省統計局統計「家計調査の1世帯当たり品目別年間支出金額及び購入数量(2016~2018年平均)」による)。
足羽郡種池村の豪農坪川武兵衛の1859年(安政5)とその翌年の買い物の記録からは、年間を通して油揚げや豆腐をひんぱんに買い求めていたことがわかります。
また、買い物先には城下南部の今に続く餅屋の屋号(蝋金)もみえます。
一方、冬のミカン、春のコウナゴなど季節の食材を買い求めており、幕末期の豪農の豊かな食生活をうかがうことができます。
城下・町方では食べなくても…
1735年(享保20)「越前国福井領
産物」
松平文庫(当館保管)A0143-01171
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「越前国福井領産物」は、1735年(享保20)に幕府が諸藩に産物の調査を命じその結果を提出させたさいに、福井藩が控として作成し保管したものです。
穀類17種類390品種、菜類49種類80品種など、計1,217種類1,853品種が書き上げられています。
産物の調査のさいには「城下・町方では食べなくても在方で食べる植物」も合わせて調査することが指示され、村むらから報告されました。「百姓喰葉類」の項には、「大豆の葉、小豆の葉、あかざ」など57種類の植物がみえ、当時の福井藩領でこれらを食べる食文化があったことを示しています。
酒札・肴札・豆腐札
「御酒札」土屋豊孝家文書(当館寄託)C0044-00901
「豆腐札(豆腐壱丁預り)」岩堀健彦家文書(当館蔵)D0001-00176
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酒屋や魚屋や豆腐屋が購入品を預かる形式で発行する酒札・肴札・豆腐札は、江戸時代には引き換え券として見舞いなどのさいの贈答に利用されました。
このほか、饅頭札や油揚札も使われていたことがわかっています。
農民の食 -遊日のささやかなご馳走-
1773年(安永2)「諸儀式覚」
飯田広助家文書(当館寄託)G0024-00667
江戸後期の今立郡東俣村の飯田家は、同家で「譜代」「家頼(家来)」などとして働く人びとに対し食事を提供していましたが、その内容を示す資料が残っています。
先例に従って農作業ごとに飯米を供与したほか、田植えや稲刈りなどの農繁期には朝昼晩の食事のほか「前昼」や「小昼(こびる)」が供され、労働後の休養日と祭礼や講などの諸行事などがある「遊日(休日)」には、特別な食事も用意されました。
1773年(安永2)、遊日となる1月28日の「初御講(浄土真宗の行事)」のさいには、「蕪小豆交じり飯」のほか、「大豆すり立汁(呉汁)」、時には「小豆坪(あずきの煮物)」などの地域色豊かな食が供されていたことがわかります。
祝儀の献立 -丹生郡南菅生浦のご馳走-
年未詳「(祝儀献立)」
松田三左衛門家文書(当館蔵)A0169-03391
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江戸時代に丹生郡南菅生浦の庄屋を務めた松田家に残されていた、婚礼祝儀の献立です。 本膳のほか、二の膳・三の膳にも収まりきらない豪華な祝い膳は、海沿いの村らしく、食材として海の幸がふんだんに使われていました。
春の食材、お買い上げ
1850年(嘉永3)「覚(宗旨御改献立材料名書上)」
飯田広助家文書(当館寄託)G0024-03101
1850年(嘉永3)春、鯖江藩賄方が領内の庄田組から買い上げた食材等のメモ。
宗門改担当の藩役人7名の8食分(56膳分)の食材には、白米9升4合(1日1名あたり5合)をはじめ、「うど」や「ふき(蕗)」など、春の食材がみえます。
今庄葛粉の生産
1862年(文久2)写「越前国名蹟考(山崎本)」
福井市立郷土歴史博物館蔵
「越前国名蹟考」山崎本に収載された「今庄葛図」です。
1799年(寛政11)「日本山海名産図会」所載の「吉野葛図」を原図とし、彩色したものです。地名を冠した「今庄葛粉」や丸岡産の「豊原素麺」等の産物は、ブランド品として福井藩主や丸岡藩主の贈答に使われました。
若狭鰈網
「日本山海名産図会」巻之三
福井県立歴史博物館蔵
日本各地の産物の採取や生産の様子を図解した「日本山海名産図会」(巻之三、1799年初版)の「若狭鰈網図」です。
同書は、若狭鰈で製した若狭蒸鰈について、 「淡干の品多しとはいへども、是天下の出類、 雲上の珍味と云べし」と高く評しています。
越前霰魚(アラレガコ)
「日本山海名産図会」巻之四
福井県立歴史博物館蔵
「日本山海名産図会」巻之四の「越前霰魚」(アラレガコ、標準和名カマキリ、地方名ガクブツ、アユカケ)の図です。
図に付された文に「霰の降る時腹をうへにして流るといふ」とあります。 1735年(享保20)の幕府による産物調査のさいに福井藩から報告された「かくふづ あいかけ」は、地方名とみなされ追加調査の対象となり、註書と絵図の作成が指示されました。
なお、大野市から福井市にかけての九頭竜川の一部は、「アラレガコ生息地」として、国の天然記念物に指定されています。
書いて、越前の地理と産物を学ぶ
年未詳「越前往来(写)」
加藤竹雄家文書(当館蔵)A0052-01726
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「越前往来」は江戸時代後期の往来物の一種で、越前国内各地を産地とする150品以上に及ぶ産物を書き上げた、平易な内容の本です。
展示している「越前往来」は折本形式になっており、朱筆が加えられていることから、手習いの手本として使われたものと考えられます。
「諸国産物見立相撲」
年未詳「諸国
産物見立相撲(写)」
吉野屋文書(当館蔵)B0030-01238
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相撲番付のように諸国の産物名を配列した江戸時代後期の一覧表で、展示資料は筆写されたものですが、もとは木版刷りの資料です。
東方の前頭として、「越前雲丹」、「若狭蒸かれい(蒸鰈)」がみえます。
「若狭国志」
1749年(寛延2)序「若狭国志(写)」
福井県立図書館貴重資料 T0001-00028
小浜藩の儒者稲庭正義が領内の調査をもとに著し、1749年(寛延2)に完成した若狭の地誌で小浜藩の官撰による最初のものです(後年、国学者伴信友が加筆修補)。
「土産」として、小浜後瀬山の「椎実」など、若狭三郡の多彩な産物が記されています。
「名物往来」
1886年(明治19)「(合書往来)」
福井県文書館文書 A0200-00013
1886年(明治19)に刊行された木版刷りの教科書『合書往来』に収載されている「名物往来」です。
若狭・越前からはじまり、加賀、能登、越中、越後、佐渡の北陸各国の産物が列挙されています。
「越藩拾遺録 下」
1743年(寛保3)序「越藩拾遺録 下(写)」
福井県立図書館(坪川家旧蔵)文書 A0141-00142
越前の古代からの歴史と地理についての本で、18世紀半ばに福井藩士村田氏春により著されました。下巻に「産物之類」を収載します。
産地名を冠した産物が書き上げられているとともに「府中浅黄」「三佐尾」など、いくつかの酒の銘柄が確認できます。
配布物