主な掲載人物
坪田(岡倉)覚右衛門(つぼた(おかくら) かくうえもん)、生没年未詳)
明治時代の美術指導者である岡倉天心(覚三)の父。1855(安政2)年に諸下代となり1860年に小寄合格となる。同年から横浜で生糸を商う福井藩の商館石川屋を差配。福井藩探索方をつとめる。
高橋 直矢(たかはし なおや)、生年未詳~1873)
1867年(慶応3)小算として出仕。71(明治4)に福沢諭吉のもとで英学を修行する。72年(明治5)に武庫司として新政府に出仕するも翌年病死。
内藤 久作(ないとう きゅうさく、生没年未詳)
もと足羽郡下馬村の百姓身分の人物で、1796年(寛政8)から荒子(あらしこ)に召し抱えられる。のち内藤姓を名乗り、新番格以下の下級藩士となった。