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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    五 商業の変革と動向
      福井問屋センターの開設
 福井市内の各種の問屋が郊外に敷地を求め、一九七二年(昭和四七)五月、福井市問屋町に大型の商業団地・福井問屋センターを開設した。同センターは、福井市中心部における交通難、敷地難を解消するため、また共同事業による流通面のコスト・ダウンをはかり、流通の近代化に対処するために開設した。六九年より三か年の計画で総事業費三八億四〇〇〇万円、そのうち約二四億円を県と中小企業振興事業団が融資し、福井市も四七〇〇万円の助成を行った(『県議会史』6、『新修福井市史』2)。
 福井市において卸売団地の造成が考えられるようになったのは六七年ころからである。当時、県外の衣料品資本・ほていやが進出することは福井市の商業界に大きな動揺をあたえた。また自動車の激増により路面駐車の規制がしだいにきびしくなり、そのため市内中央部に位置する卸業者の営業に影響がおよぶようになった。福井商工会議所では商業の近代化、高度化が議論されるようになり、なかでも同会議所の衣料品部長は、商業の近代化、高度化は原則論ではなく、今こそ同志一丸となって具体的に卸団地を造成し、進出すべきであると主張した。このような主張は多くの賛同者を得、商工会議所内に「卸団地造成に関する卸業者懇談会」が設置された。懇談会では意見交換が行われ、富山、金沢の問屋センターの視察も実施された。同懇談会は、のちに福井卸団地造成審議会、さらに福井問屋センター造成期成同盟会を経て、六八年四月には正式の組織である協同組合福井問屋センターに発展した(『福井問屋センター一〇年の歩み』)。
 福井問屋センターは国道八号線バイパス(現、国道八号)東側に約二〇万平方メートルの土地を買収し、七〇年には造成工事に着手した。センター開設時には、図86のように、食品・繊維・電気・建築・雑貨など三一業種、八一社の店舗、倉庫などが入居した。同センターの位置は、国道八号線バイパスに近く、またのちに開設されることになる北陸自動車道のインターチェンジにも近く、そのため物流上は有利な位置にあった。問屋センターの開設により、卸売、小売とも流通の合理化がはかられ、また駐車場難、倉庫難も解消でき、従業員の福祉面の向上も進んだ。
図86 福井問屋センター業種別店舗配置図

図86 福井問屋センター業種別店舗配置図




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