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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    五 商業の変革と動向
      地元主導型ショッピングセンターの開設
 一九六〇年代後半から一九八〇年(昭和五五)までに福井市に開設された主要な大型店は表175のようである。これらの大型店のなかで、すでに述べたほていや、ジャスコ以外では七五年に開設された新田塚ファミリープラザが注目される。同プラザは地元のスーパー資本・ユースが開設した福井市ではじめての郊外型のショッピングセンターであった。また七九年に開設された平和堂西福井店(本社彦根市)は県外資本の福井市への再度の進出であった。しかし、これらの大型店でもっとも注目すべきは、七七年に開設されたフクイショッピングプラザ・ピアと、八〇年に開設されたゴールドショッピングセンター・ベルである。両ショッピングセンターは地元の小売商が中心となって開設したものであるが、その開設によって福井の商業は従来の駅前に加え、あらたに郊外の南と北にその中心が形成された。商業の中心が三つに分化したことにより、以後福井の商業は「三極分化」あるいは「三極構造」と呼ばれるようになる。両ショッピングセンターの開設は福井の商業を大きく変えたのである。

表175 福井市の主要大型店

表175 福井市の主要大型店
 一般にショッピングセンターの開設は、大手流通資本が開発者となり、地元の小売商はテナントとして収容されることが多い。ところが、福井市に開設されたショッピングセンターは、いずれも大手流通資本が主導権を握ることなく、地元の小売商が自らその開発者となった。そのため地元主導型のショッピングセンターとして全国的にも注目された(『福井経済』80・3)。
 地元主導型のショッピングセンターの構想は、さきに述べた福井駅前の再開発計画のさいに地元の小売商たちによって生み出された。再開発計画では大手の流通資本ダイエーが、その計画に加わろうとしたため、地元の小売商たちは、その対策を考えるため七三年一二月に福井市小売商近代化協議会(岡晃一郎会長)を結成した。当時ダイエーといえば小売商にとっては「非常に怖い存在」であった。そのため近代化協議会は、ダイエーの進出を阻止せねばならないと考え、結局その対策のなかから地元主導型のショッピングセンターが構想されたのである(岡晃一郎「ビッグ東部の推進と公共と民間の役割」)。
 ダイエーは駅前の再開発計画が不可能になると、その進出先を福井市南部のゴールデンボウル跡地にむけてきた。そのため近代化協議会は、その用地の買収に奔走し、二年あまりの交渉の結果、用地獲得に成功した。ところが、ダイエーは今度は現在のフクイショッピングプラザ・ピアの土地を獲得しようとする動きをとった。そのため近代化協議会はふたたびその土地を買収することになった。
 近代化協議会は、七七年一一月、フクイショッピングプラザ・ピアを開設した。フクイショッピングプラザ・ピアは、当時全国でも珍しい事例であったが中小企業振興事業団の高度化資金を活用し、地元の専門店は約八〇、核テナントにジャスコをうけ入れ、店舗面積およそ二万平方メートルをもって開店した。また近代化協議会は、二年半後の八〇年四月にゴールドショッピングセンター・ベルを開店した。店舗面積およそ二万三〇〇〇平方メートルで、地元の専門店は八八、核テナントは平和堂であった。
写真110 ショッピングセンター・ベル

写真110 ショッピングセンター・ベル

 他方、福井市以外の地域においてもスーパーや大型店の進出がみられた。武生市では六一年以降、福井市に本店をもつハギレヤ、三上、かがみや、ユースなどの支店が進出した。しかし、その影響はまだ大きくはなかった。ところが、六九年三月に県外資本であるいとはん(本社金沢)が、武生駅前に進出した。いとはんは、地上二階建て、店舗面積二万三〇〇〇平方メートルの店舗で、下着類を中心に衣料品を取り扱った。いとはんはそれまでの「スーパーのカラーを打ち破った店舗構成」であったため、地元商店街に大きな影響をおよぼした。武生商工会議所の「スーパー影響調査」によれば、回答を寄せた店舗の約七割が「影響あり」としていた(『福井経済』68・11、『県議会史』6)。また七四年になると、武生では県外資本である平和堂が進出した。
 敦賀市においても、六〇年代に福井市に本店を有するやなぎや、福進チェーンなどの出店がみられたが、七三年には県外資本である平和堂が進出した。地元敦賀市にとってははじめての大型店の進出であったため、大きな影響をおよぼした(大道安次郎『変貌する地方都市』)。その他、鯖江・大野・勝山・小浜の各都市、また郡部においても、六〇年代以降には、ユースや福進チェーンなどの福井市のスーパーの出店がみられた。
 七〇年代にはショッピングセンターの開設があいついだ。それらのショッピングセンターは、核店舗に県外あるいは福井市のスーパー資本などを入れ、地元の小売店が入居した。七三年の三国ショッピングセンター(開設場所は三国町、核店舗は福進チェーン、以下同様)、七五年の鯖江ショッピングセンター(鯖江市、平和堂)、七六年の神明ショッピングセンター・アゼリヤ(鯖江市、ユース・福進チェーン)、大野ショッピングセンター・スカイモール(大野市、ジャスコ)、芦原ハロータウン(芦原町、福進チェーン)、七七年の勝山サンプラザ(勝山市、福進チェーン)、松岡ショッピングセンター(松岡町、福進チェーン)などである(福井商工会議所経済情報センター『福井県商業の推移』)。
 県外資本の進出やショッピングセンターなどの開設により、福井県では八〇年に店舗面積五〇〇平方メートル以上の大型店は、その売場面積において県下全体の三一%、およそ三分の一を占めるまでになった(『福井商工会議所百年史』)。



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