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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    五 合併後の市町村行政
      過疎化の進行
 高度経済成長のなかで地方から大都市への人口の大量移動が進行し、地方の過疎化と大都市の過密化が大きな問題となった。一九六七年(昭和四二)一一月に経済審議会地域部会が報告書を提出し、「人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難となった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難となり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。」と述べ、以後「過疎」という言葉が定着した(今井幸彦『日本の過疎地帯』)。
 その後、六八年に全国都道府県議会議長会に過疎対策協議会が設置されると、地方公共団体が中心となって国に対して過疎対策の立法化を求める動きが高まった。その声をうけて七〇年四月に議員立法による「過疎地域対策緊急措置法」が国会で成立した。この法律の対象地域は国勢調査による五年間の人口減少率が一〇%以上で、かつ最近三か年度平均の財政力指数(基準財政収入額/基準財政需要額)が〇・四未満である地域とされた。まず七〇年五月一日に七七六市町村が過疎地域市町村として公示され、ついで七〇年の国勢調査結果により七一年四月に二七四市町村が追加公示された。
 この法律では過疎地域の振興方針として、(1)交通通信体系の整備、(2)教育文化施設の整備、(3)生活環境施設等厚生施設の整備と医療の確保、(4)産業の振興、(5)集落の整備、をおもな項目として掲げた。この振興方針にもとづき各都道府県知事が「過疎地域振興方針」を定めるものとされた。これにもとづき都道府県や市町村は「都道府県過疎地域振興計画」「市町村過疎地域振興計画」を策定する。過疎地域対策緊急措置法は一〇年間の時限立法であるため、あらたに八〇年三月に「過疎地域振興特別措置法」が成立し、さらに九〇年三月に「過疎地域活性化特別措置法」が成立した(『地方自治百年史』、『過疎対策二〇年の歩み』)。



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