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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    五 合併後の市町村行政
      福井県の過疎の実態
 福井県の過疎地域については、過疎地域対策緊急措置法のもとで一九七〇年(昭和四五)五月に池田町、今庄町、河野村、名田庄村、大飯町が、七一年四月の追加公示で美山町、越前町、越廼村が指定されて過疎地域は八町村となった。これらの地域は、いずれも林野率の高い純山村と山が海岸ぎりぎりまで迫る漁村であり、過疎地域全体の平均林野率は八二・六%であった。
 表161をみると、八町村の人口減少率が県平均に比べて非常に高いことがわかる。過疎地域では、人口の流出の大部分が若者であり、その結果老人の占める割合は年々高まっている。また、若者が少ないため、婚姻率、出生率は低くなる。七〇年の出生率は県平均が一〇〇〇人あたり一六・三であるのに対し、過疎地域平均では一一・七である。また同年の死亡率は県平均が一〇〇〇人あたり八・一であるのに対し、過疎地域平均は一一・九と高い。これは老人の割合が高いことと、医療機関の不足が原因と考えられる。

表161 過疎指定町村の人口・世帯増加率

表161 過疎指定町村の人口・世帯増加率
 産業別就業人口では、第一次産業の割合が高く、水田経営面積が一ヘクタール未満の農家の割合は、七〇年で過疎地域平均が九三・二%で県平均の六八・八%を大きく上回り、零細経営であることを示している。農家のなかで、専業農家は少なく、第二種兼業農家の割合は七〇年の過疎地域平均が八七・〇%で県平均の六四・六%を大きく上回る。過疎地域は山がちで自然条件がきびしいうえに、耕地面積が小さいため農業の自立経営は困難であった。農家一戸あたりの農業生産額は、七〇年の県平均六三万八〇〇〇円であるのに過疎地域平均は二八万八〇〇〇円と半分にも満たない状態であった。そのため住民は、漁業、林業、土木事業など他の生業に依存していた。
 しかし、林業では、都市ガス・プロパンガスなどの燃料革命により、木炭への需要が激減し、薪炭業が成立しなくなった。炭を焼く農家がその便利さゆえにみずからもプロパンガスを使うという皮肉な状況が出現した。また、育林業も安価な外材の流入により苦しい状況であった。漁業では、沿岸漁業がきわめて不振であり、県下の漁村はほとんどが小形の漁船で漁業に従事し、生産性が低いうえに装備の近代化が難しい状況であった。
 表161から過疎地域の平均財政力指数は県平均の約三分の一であることがわかり、教育の面では、過疎地域では児童数の減少が著しく、複式学級の割合が高くなっている。高校進学率は七一年で県平均が八六・二%で過疎地域平均は七五・〇%であった。過疎地域の高校進学率が低い理由としては、高校への距離と所得水準の低さが考えられる(福井県『統計からみた過疎の実態』、福井県『過疎地域振興方針』一九七一年)。
 人口の大量流出による過疎化のおもな原因は、それまで農山漁村において低いながらも保たれていた所得と消費の間の均衡が崩れたことである。山間地域では農業と林業、海岸地域では農業と漁業がおもな収入源であり、所得は低いが消費生活も自給性が強く、消費水準が低かった。それが、燃料革命による薪炭業の不振と、沿岸漁業の不振により所得が低下した。一方では、高度経済成長での耐久消費財の普及など消費革命が農山漁村にもおよび、消費支出が増大した。そのため所得と消費の均衡を回復するためのあらたな方策が必要となった。また都市の消費文化が地方に浸透した原因としては、モータリゼーションやテレビの普及が考えられる(近畿地方行政連絡会議『過疎問題に関する調査報告書』)。
 さらに、この時期は高校・大学への進学率が急激に上昇した。高い学歴を得た若者が親の仕事(多くは第一次産業)を継ぐことを嫌って、都市に仕事の場を求めた。山深い集落では、この時期に集落の解体、挙家離村が進行した。人口流出がもっとも激しいのは幹線道路から遠く離れた山間の小集落で、緩やかであったのは交通の便のよい地域である。
 池田町では、挙家離村の契機となったのは、五九年の「伊勢湾台風」、六一年の「第二室戸台風」、六三年の「三八豪雪」などの自然災害であった。池田町では、五五年から七〇年の間に四つの集落の人口がゼロとなり、三つの集落の人口が二人となった。さらに八九年の時点では九つの集落が人口ゼロで、三つの集落が人口一、二人となっており、文字どおり集落の解体が進行している。ある集落で人口流出が増加すると、残った住民に地域社会の維持に必要な負担が増加する。そのため人口流出が一定の割合をこすと雪崩をうったように人口は流出していく。長い歴史をもつ山間の集落が過疎化の波のなかでこのように崩壊していった(「過疎問題に関する調査報告書」)。
 その後、福井県の過疎地域は、過疎地域振興特別措置法のもとで、八〇年四月にあらためて美山町、池田町、今庄町、河野村、越廼村、名田庄村が指定され、八六年四月の追加公示で和泉村が指定された。九一年(平成三)四月現在で、この七町村が過疎地域として指定されている。



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