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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    五 合併後の市町村行政
      広域行政の進展
 つぎに広域行政についてみてみよう。政府は、一九六二年(昭和三七)の全国総合開発計画の策定後も過密過疎の問題が深刻化したため、これに対応するため六九年四月に新全国総合開発計画を閣議決定した。この計画のなかに地域開発の基礎単位としての広域生活圏の形成が盛り込まれた。これは市町村レベルでは容易に充足できない生活環境、教育、医療、文化活動等の総合的整備を広域生活圏によって実現しようとするものである。この構想は、市町村は存続させながらその機能の一部について実質的に合併と同じ効果をもたらす手法として考えられたものである。五三年からの町村合併により、約一万の市町村が三分の一の約三〇〇〇市町村となったが、この構想ではさらに一〇分の一の三〇〇圏域に再編しようとした。
 六八年の第一二次地方制度調査会の中間答申がこの構想を発表すると、自治省はこれをうけて六九年に「広域市町村圏振興整備措置要綱」を定め、同年度に五五のモデル圏域について広域市町村圏計画を策定し、その後全国で圏域の設定と計画の策定が行われた。広域市町村圏の圏域人口はおおむね一〇万人以上で住民の日常生活が充足されるような地域について設定される。広域市町村圏を構成する市町村はその振興整備を推進するための行政機構として広域行政機構を設置するものとされ、圏域の実態に応じて協議会または一部事務組合の制度によるものとされた(『地方自治百年史』)。
 福井県では六九年度に福井坂井地区広域市町村圏、七〇年度に武生鯖江地区広域市町村圏、嶺南地区広域市町村圏、七一年度に大野勝山広域市町村圏が設定され、県下の全市町村がいずれかの広域市町村圏に属することになった。広域行政機構の方式としては、福井坂井地区と大野勝山地区は一部事務組合方式で、武生鯖江地区、嶺南地区は協議会方式で運営された。これらの広域市町村圏はそれぞれ独自の広域市町村圏計画を設定し、広域的な事業を推進していった。県内では、六一年ころから環境衛生への住民の要望が高まり、ごみ処理施設・し尿処理施設・葬祭施設等の環境衛生施設を中心とする一部事務組合が設立され、六五年以降はさらに消防・救急業務を行う一部事務組合が多く設立された。



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