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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    五 合併後の市町村行政
      学校統合と福祉行政
 合併後の市町村にとって学校問題は重要な課題であった。戦後の新制中学校建設をめぐる混乱がおさまると、ベビーブームによる生徒数の増加が問題となった。金津町では、一九五一年(昭和二六)、五二年ころから小学生が、五五年以降は中学生が増加し教室が不足したり、すし詰め学級の解消や校舎増築の陳情が続いた。町は学校の統合を進めることで問題の解決をはかった。五八年三月に細呂木小学校、同細呂木分校、同清王分校を統合し、あらたに細呂木小学校校舎を建設することを決定し、六〇年三月に竣工した。六二年には金津中学校、館山中学校、吉崎中学校を廃止し、あらたに金津中学校を新設することを決定し、六五年一一月に校舎が完成した。さらに七〇年五月に中川、熊坂、剣岳の三小学校を統合して金津東小学校を建設することを決定し、校舎は七一年三月に竣工した。これらの校舎建築は町財政にとって重い負担であった。さらに、女性の職場進出が進むなかで保育所の建設を求める声が強まった。金津町は六八年から七三年にかけて七つの保育所を次々に建設し、保育所定員の増加につとめた。
 福祉行政についてみてみると、金津町は五六年九月に「金津町国民健康保険条例」を制定し、六四年に世帯主五割給付を七割に改善し、六五年に家族給付五割を七割に改善した。六七年四月に金津町社会福祉協議会を設立し、地域全体の社会福祉、保健衛生、レクリエーションの調査研究、計画立案を行った。六九年一〇月に金津町社会福祉センターを建設し、児童館を併設した。
 高度経済成長の末期には、生活環境や社会福祉が社会的に大きな注目を集めるようになり、福井県の市町村でも県の助成もあり六九年度に重症心身障害者(児)のための福祉手当の支給が、七一年度には老齢者、七三年度には乳幼児および重度心身障害者(児)に対する医療費の公費負担の施策が取り入れられた(『地方自治三〇年の歩み』)。
 金津町では、七一年度からとくに福祉行政を重視し、七一年一〇月に「金津町老齢者医療費助成に関する条例」、一二月に「金津町重症心身障害者等の福祉手当に関する条例」、七三年六月に、「金津町重症心身障害者医療費の助成に関する条例」と「金津町乳児医療費の助成に関する条例」が制定され、七二年一一月には金津町老人憩いの家が落成した(金津町『町づくり二〇年』)。



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