一〇年間にわたり県内各市町村におよそ一地域を指定し実施された構造改善事業は、農業近代化のパイロット的事業として、いくつかの点で福井県農業の構造改善を促す契機となった。
その第一は、土地基盤整備の進展である。構造改善事業として県において実施された圃場整備は、一九六二年度(昭和三七)から六九年度までに二四四九ヘクタールであったが、これにあわせて、県営、団体営など各種の事業が同期間に実施され、総計では二万四二四一ヘクタールの圃場が整備された。これは全水田面積の四七%におよび、区画規模別では、三〇アール以上区画が八一九八ヘクタール(一六%)、一〇から三〇アール区画が一万三四六八ヘクタール(二六%)、一〇アール以下が二五七六ヘクタール(五%)となっている。構造改善事業としての実施面積は全体の約一割であるが、同事業ではじめて実施された三〇アール以上の区画では二割以上を占めるなど、用排水を分離し幅員の広い農道を備えて機械化に対応した大区画の圃場整備において、構造改善事業の貢献度は大きかった。もっとも、こうした規格は「当時としては極めて格調の高いものであり地元農家に受け入れ難いものであり、啓蒙指導には非常な努力を要した」とされるように、事業発足当初の受入れ態勢は十分とはいい難く、未指定や未実施に終わった地域も少なくなかった(福井県『福井県の農業構造改善』、福井県農林漁業問題研究会『構造改善と三七年度事業計画の樹立まで』)。実際に大区画の圃場整備(そして機械化)が福井県において本格化するのは一九七〇年代以降のことであるから、六〇年代の構造改善事業はそれへの先導的な位置を占めたといえよう。
第二に、近代化施設整備の面でも、構造改善事業は先導的な位置を占めた。すなわち、構造改善事業開始当時は、県内でトラクターは一台の導入実績もなく、コンバインにいたっては「農家はその名称すら聞いたことがない」状況にあったものが、六九年時点では、県内にトラクター九〇九台、コンバイン一二台が導入されるにいたった。そのうち構造改善事業による導入は、トラクターが一二二台、コンバインは九台を占めた。また、ライスセンターおよびカントリーエレベーターは、七一年度までに県内で計四四か所設置されたが、構造改善事業ではそのうち三六か所を占めたのである。
第三に、こうした物的な条件整備と連動して、各種の農業生産組織が設立された。それらは、導入した機械や近代化施設の共同利用をおもな目的に設立されたもので、機械利用組合、特定品目別の生産組合などの形態をとった。そして、これらの生産組織設立を契機に農家間の協業関係を拡大し、農業労働の見直しや経営の合理化をすすめる気運が高まった指定地域も現われた。
構造改善事業を重要な契機として、福井県の農業は近代化への大きな歩みを開始した。そして、この時期を通じて農業の生産性向上や省力化は確実に進んだ。また不整形で小さい地片が入り組み、その間を狭い農道が蛇行するといったそれまでの農村景観は一変し、機械作業に適した農道を備えた長方形の区画が整然とならぶ田園が出現することにもなった。 |