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 第五章 転換期の福井県
   第三節 変貌する諸産業
    一 農業の近代化と兼業化
      一九六〇年の福井県農業
 福井県の総農家数は、戦後の一時期増大傾向を示し、一九五〇年(昭和二五)の七万一九七四戸でピークに達したが、その後ゆるやかに減少しはじめ、五〇年代末には七万戸を割り込むにいたった。とはいえ、六〇年の時点でも、総農家数は六万九一一三戸で福井県の総世帯数の四二・一%を占め、農家人口は三六万六九八三人(福井県人口の四八・八%)を数えた。また、農業就業人口も一四万三六三二人(福井県総就業者の三六・六%)と依然大きな割合を占めていた(表128)。

表128 福井県農業の概況(1960年)

表128 福井県農業の概況(1960年)
 専業兼業別でみると、専業農家が一万七〇八四戸で全体の二四・七%、兼業農家が五万二〇二九戸、七五・三%という構成で、兼業農家率が同年の全国平均六五・七%に比してかなり高いのがめだつ。これは、この時期はじめて現われた傾向というよりは、戦前期の福井県農業の特徴が復活した結果とみられる。すなわち、戦前期から福井県の農家は、広く農村部に散在していた機業をはじめとする中小事業所への雇用兼業が顕著で、たとえば三八年の「全国農家一斉調査」で兼業農家率はすでに七三・二%と全国第一位を示していた(福井県農林漁業問題研究会『福井県における農業生産担当層の動向』)。こうした農家労働力と地場産業との結びつきが、戦後の経済復興・経済成長とともにふたたび現われたと考えられるのである。そして、のちにみるように、兼業化は六〇年代の高度経済成長過程においていっそう拡大・深化していくことになる。
 農業生産の面では、六〇年時点で、経営耕地の八七・五%を水田が占め、また、農業粗生産額の七九・一%を米が占めるというように、稲作への集中がめだち、他方、稲作以外では、野菜類が総粗生産額の五・八%、畜産が五・四%を占める程度で、一言でいって、水稲単作という特徴が著しい。これは、積雪等の自然的条件に規定された側面が強いが、戦前期以来の兼業化と結びついて、福井県農家の主流として「稲作兼業」と呼ばれる形態を生みだすことになったのである。なお、福井県の稲作は、気象条件や米市場の関係などから、早生品種の作付けが以前からめだっていたが、六〇年ころよりホウネンワセをはじめとする早生品種の作付けが増大し、六〇年代末には、作付面積の六割を占めるまでにいたる。こうした早生化を促進する背景にも、兼業従事日数を高め、農外所得の増大をはかるといった農家側の事情があったとみられる(福井県『ふくいの農業』)。
 農家経済に目をむけると、六〇年時点の農家総所得は一戸平均四五万一〇〇〇円で、うち農業所得が二二万三二〇〇円、農外所得が二〇万八七〇〇円で、農業所得が農外所得をわずかに上回っている。また、家計費は一戸平均三四万三三〇〇円であり、農業所得によってその六五%を充足していた。五人強の世帯員をかかえ、三人強がなんらかの職につき、うち二人強が農業に従事し一ヘクタールに満たない農地(水田)を耕作して、自家の経済を維持するというのが六〇年当時の福井県農家の平均的な姿であった。



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