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 第五章 転換期の福井県
   第一節 「夜明け前県政」と産業基盤整備
    一 一九六〇年代の県政
      県会「黒い霧」事件
 北知事の蹉跌のもとは県議会のなかにあった。当初は、低姿勢で県議会に臨んだこともあり、前任者の羽根知事が県議会対策に頭を悩ませたのに比べて、比較的順調な関係をつくることに成功した。また、高度経済成長が進み財政が急速に膨張するなか、総合開発をキーワードにして、北陸トンネル開鑿や奥越電源開発など、次々と大規模な事業が県内で行われるようになり、ある意味では、自らはとくに何もしなくても成果があるようにみえる状況も幸運だった。北は大風呂敷といわれながら、開発へむけての夢を語ることで時代の要請に応えていたともいえる。しかし、県議会との対立ではなくて、自らも党員となり与党としての役割を期待した県会自民党がその内部で醜悪な対立と混乱を引きおこして県民の批判をうけたときに、同じ自民党員としての知事もまた批判をうけることから逃れられなかったのである。
 一九六六年(昭和四一)一〇月三日に一名、六日にさらに三名の県議会議員が贈収賄の疑いで逮捕された。この年の正副議長改選をめぐって不正な金銭授受が行われているということで内偵を進めていた福井地方検察庁は、県会自民党から分かれて分派活動を行っていた自民党県政刷新議員連盟所属議員からの情報を得て、まず副議長となった高木孝一をはじめ四名を逮捕し、最終的には九名の県議会議員を贈収賄の疑いで逮捕、起訴したのである。自民党県連幹事長の今沢東や議長となった山本治も検察から事情聴取をうけ、起訴猶予となっている。そもそも地方自治法の定めるところによれば、正副議長の任期は議員の任期に等しいとされていたが、戦後、いずれの自治体においても正副議長になりたい議員が多く、慣例として一年交代で運用しているところが多かった。正副議長になることで、理事者と同格の待遇がうけられることや交際費が使えること、次期の選挙に有利であることなどからこうした運用となったのである。福井県議会もその例外ではなかったが、毎年くり返される正副議長ポストをめぐっての争いは県民の眉をひそめさせるものであった。
 おりしも国政レベルでは「黒い霧」とよばれた一連の疑惑が発生しており、東京都議会においても議長選をめぐる不正な金銭授受が摘発をうけたりしていた。このとき福井県議会内には、県会自民党の実力者(今沢東、山本治、高木正二、笠羽清右衛門ら)が県議会を支配し北知事がこれに接近してなれ合い政治を進めているとして、暴露戦術に訴えてこれを批判する勢力があった。県政刷新議員連盟をつくった勝見厚をはじめとする九名の県会自民党所属議員である。災害復旧費を流用して県議会議員や県の職員が宴会をしていると暴露することで県政批判を行っていたのである。このいわゆる「公費宴会」問題(『福井新聞』66・9・6、13)が北県政に対する攻撃材料とされた。
 そうしたなかで、高木孝一から金銭を受け取り、さらに、高木からの金銭を他に仲介したと県政刷新議員連盟の幹事長職を務めていた芝田竹次郎が仲間の議員に告白した。彼は高木と副議長職を争っていた増永健からも金銭を受け取っていた。芝田自身はそれを返したから問題になることはなかろうと考えていたそうだが、その話を聞いた県政刷新議員連盟所属議員が検察庁に情報をあたえたのである(『読売新聞』66・10・8、30、『中日新聞』66・10・8、22)。



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