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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
     二 人絹不況と系列化
      系列化の進展
 一九五四年(昭和二九)秋の景気回復にはじまる好況の展開は、系列化の動きに拍車をかけた。原糸の量産体制を確立したメーカーおよび特約商社が、たんに原糸販路の確保を目的とするにとどまらず、最終消費市場における製品の品質を重視して大量生産と品質管理に堪えうる優良機業を求めはじめたからである。メーカー・商社は従来の技術サービスを拡大するとともに、五四年度より実施された福井県設備近代化資金貸付制度(国庫半額負担)による県の補助を利用しつつ(第四章第二節三)、設備の改良・増設に対する資金援助を進めていった。たとえば帝人は、福井出張所を北陸出張所に組織変更して織布技術員を常置する体制を組む一方、大野の四八系列工場(第一組合一八、MB会三〇)のうち二三工場を対象として、撚糸機九〇〇〇錘の増設に対して一〇〇〇万円の低利融資を行っている(『福井繊維情報』55・3・4、6・9)。また東紡金鵄会(東洋紡系列)、三菱レイヨン会、桜蝶会(帝人・蝶理系列)、日レ会(日レ・伊藤忠系列)などのいわゆる系列ブロックが多数結成され、定例の技術研究会が開催された。勝山兄弟(倉レ)、酒伊繊維(東レ)など、メーカーによる重役派遣もめだつようになった。
 もっとも、この期の福井県の設備近代化の特徴は、準備工程とりわけ整経(経糸の糊付)部門におけるワーパー(荒巻機)やサイジングマシンの急速な導入にあった。力織機や準備部門でも緯糸の自動管巻機に重点がおかれた石川県とは対照的に織機の更新は相対的に遅れており(表114)、五六年七月の五〇八系列工場の実態調査でも半木製織機が六割をこえ、また戦前からの老朽織機が半数を占める状況であった(『福井県繊維産業史』)。

表114 設備近代化資金貸付制度による近代化状況(1954〜56年)

表114 設備近代化資金貸付制度による近代化状況(1954〜56年)
 整経作業は、従来、壷糊法による糊付・乾燥・再繰・部分整経・巻返の五工程を要した。しかし、ワーパーにより部分整経に相当する作業をあらかじめ行ったうえでスラッシャーマシンによる糊付・乾燥・巻取の連続作業を行うという新方式(他に短繊維用のホットエヤーマシン、県工業試験場の開発した小規模のテープマシンがある)は、一セットで月三万ポンド、織機二五〇台から三〇〇台相当の経糸の供給能力を備えており、量産と品質の均一化を可能とするものであった。これは一セット約一五〇〇万円と非常に高価であったため一部の有力機業が自家用施設として設置するにとどまっていたが、賃織生産が拡大するにつれて中小機業の共同施設として設置されるケースがふえた。メーカー・特約商社はこれに対して既設の施設を系列に組み込むだけでなく、旭藤サイジング協組(旭化成・伊藤忠系列)、東和サイジング協組(東レ・蝶理系列)などのように、積極的な資金援助により当初から系列的な共同施設の設置に力を入れた。さらに福井サイジング(東レ・蝶理系列)、広撚サイジング(帝人・広撚系列)、酒伊織産(日レ・酒伊商事系列)のように特約商社の直営施設も登場した。こうして五三年までの県内のサイジングマシンの設置台数八台に対し、五四年から五七年の間に四六台にものぼる急速な設置をみることとなり、塩瀬・朱子・フジエットの輸出三銘織物を中心に、品質・規格の統一をともなう大量生産の条件が川上の部門から整備されていったのである(大阪府立商工経済研究所『中小企業生産性向上に関する調査資料(2)福井県人絹織物の生産構造と組織問題』)。



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