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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
     二 人絹不況と系列化
      系列化の開始
 賃織関係が一段と強化されるのは一九五二年(昭和二七)以降である。たとえば、三月の広撚傘下の帝人糸使用の一五工場(織機八一八台)による第一織物協同組合の設立、一二月の酒伊興業(同月酒伊商事に社名復活)傘下の日本レイヨン糸使用の五二工場(同約二〇〇〇台)による信和織物協同組合の設立にみられるように、商社による系列組合の結成がめだつ。またさきにみた大野組合では、旭化成が賃織契約を半減して機業の精選をはかったのに対し、組合共販部では帝人の細番手(七五デニール)のマルチブライト糸を試織して集散地商社へ持ち込み、結局兼松を介して帝人糸の供給を確保することとなり、以後兼松経由の帝人賃織工場がMB会と呼ばれる団体を結成するなど、賃織関係の再編も進んでいく(『福井繊維情報』52・3・16、12・14、『大野織物業界のあゆみ』)。機業の資金不足と原糸調達の困難がこうした動きの背後にあると考えられるが、他方、メーカー側にも、原糸の滞貨をさばくことにより価格の下落傾向に歯止めをかける動きが現われたこと、各社の自主操短により既存の販売先機業の再編・強化が行われたこと、チョップ品と呼ばれるメーカーの銘柄織物の開発が進み準備・製織・加工などの各工程の品質管理を進める必要が生じたことなど、賃織取引の拡大を求める要因が存在していた。また、五三年秋の人絹パルプ・リンク制の採用(第四章第三節三)も、メーカーにED(輸出実績確認書)引換え条件つきの原糸販売を優先させることになったため、県外の貿易商社を中心とする特約商社を通じた系列化を促進する契機となった。
 では、この期の賃織取引の実態はどのようなものであったろうか。まず賃織機業の規模であるが、前出『報告書』の調査によれば、調査五二〇工場中、完全賃織は二八六工場(五五%)で部分賃織もあわせると四二四工場(八二%)にのぼっており、うち二〇台以下の工場が完全賃織で二三六工場、部分賃織を含めると三〇四工場となり、中小・零細機業の比重が圧倒的に多いとされている。抽出方法が不明であるため信頼性に疑問が残るし、これら賃織機業のすべてが系列化されているとはいい難いが、かなりの比率の小規模機業が賃織取引の慣行のもとにある、ということは差支えないであろう。ただし、必ずしも一つの機業が一つのメーカー糸のみの賃織を行っているわけではなく、複数の元方に対して機械を配分して賃織契約を行うケースも多くみられた。
 つぎに、契約の形式は、原糸メーカーは、とくに大機業との間では直接に賃織関係を結ぶ場合もあったが、一般には特約商社をとおして機業を把握する、いわゆる商社賃織の形式をとっていた(前者の場合でも製品の販売権をメーカーがもち、糸は商社を通じて供給することが多かった)。賃織機業の選択は、商社に一任する場合と商社に推せんさせたうえでメーカーが経営調査を行う場合があり、たとえば帝人の例では蝶理・丸紅・日綿などとの関係は前者であり、さきに述べた広撚・兼松との関係は後者であった。
 契約成立のさいには、機業による原糸・織物の不正使用、転売、投機的取引が禁止されるとともに、指定機械の変更、出目糸の処分なども禁じられた。そしてこれらを防止するために機業は機械、工場建物等の担保物件の提供を求められることが常であった。織賃については、メーカー・特約商社の調査と協議によりA反(合格品)の織賃が決定された。C反(不合格品)については支払を行わず、かつ一割以上のC反率が継続すると契約破棄となる場合もあった。また、メーカー・商社は機業に対して、経営の再建や機械の修繕・増設のために資金の援助や手形保証を行ったので、償還分や利子により契約加工賃の一部が相殺され、機業の実際の受取りは減額された(資12下 二五〇)。



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