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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    四 産業教育の振興
      行政の集権化と反対闘争
 一九五三年(昭和二八)の「義務教育学校職員法案」問題および五四年の「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」「教育公務員特例法一部改正」のいわゆる教育二法問題で、政府は教員の政治的中立と教育行政の中央集権化を企図した。すなわち、二法の前者は特定党派の不当な影響・支配から教育を守り、後者においては公立学校の教育公務員の政治的行為を国立学校の教育公務員に準じて制限しようというものであった。これに対し、日教組はじめ教育関係者は教育の反動化阻止を唱え反対運動を展開し、福井県でも県教組・PTAが二法の撤回を求め教育防衛県民大会を開催した。
 五六年になると教育三法問題がふたたび教育界を大きく揺さぶった。三法のうち「教科書法案」「臨時教育制度審議会法案」は廃案となったが、残る「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の制定によって、従来の教育行政の地方分権は改められ、教育委員の任命制による一般行政との一本化、行政による管理強化と明確化が決定づけられた。
 こうしてあらたに誕生した任命制教育委員が初の仕事として直面したのが、勤務評定であった。教員の勤務能率の向上を掲げ、学校管理と教員服務監督の強化を骨子とした勤務評定に対し、日教組は全国的な反対闘争を展開した。福井県では五八年五月に県教委が「市町村立学校職員の勤務成績の評定に関する規則」を公布して正式に勤務評定を決定し、県教組は闘争に取り組んだが、勤評絶対反対を主張する高教組と、穏健路線を主張する福井市などの義務制支部との間で足並みの乱れが露呈し、同年一〇月に各学校長から勤務評定書が提出されるにおよんで、組合運動は後退を余儀なくされた。



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