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 第四章 高度産業社会への胎動
   第一節 県政と行財政整備
    一 小幡県政と羽根県政
      第一期小幡県政
 小幡治和・羽根盛一の二人の知事の時代は、戦後日本が政治経済の民主的な体制を整備し財政的健全性を確立して、のちの高度経済成長を可能にする基盤をつくった時期である。
 まず第一期小幡県政(一九四七年四月〜五一年四月)は、占領下、大幅な改革が進められたうえに未曾有の災害に見舞われ、これへの対応に追われた時期であり、政策的にみて小幡色が十分に出たものとはいえなかった。そういう特色を出す以前に一九四八年(昭和二三)の震水災が襲ったということもあって、制定されたばかりの「災害救助法」の適用をうけ、多額の補助金を獲得したり大幅な起債枠を認めさせたりという点で、対中央交渉における小幡の有能ぶりを印象づけるものではあったが、政策的には彼自身のイニシアティヴが示されたものは少ない。中央からの資金導入を行い、これを彼の政策たる諸振興事業につないでいった巧みさに、小幡県政の特色をみるべきなのかもしれない。
 四七年度は戦後改革を実施に移すことによる義務的経費、すなわち地方公務員となった職員の給与や教育改革による諸経費が予算の大部分を占めたので政策的経費に振り向ける余裕はなかったし、四八年度当初予算のなかに盛り込まれた六大振興対策(農地乾田化、貿易振興、特産振興、山村振興、畜産振興、文化振興)、六重点対策(戦災復旧、道路橋梁架換、病虫害防除、結核花柳病予防、漁村振興、蚕業振興)などの政策予算は未曾有の大災害とそれにともなう膨大な財政需要の前にかすんでしまった感すらある。四八年度の決算額は三六億五〇〇〇万円あまりとなり、そのうち震水災対策費が二三億一八〇〇万円でじつに六三・四%となった。これをまかなうに国庫支出金と起債に頼ることとなり、全国的にもそういう傾向があったわけだが、福井県ではとくに財政の中央依存がはなはだしいものとなったのである(第三章第二節二)。



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