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 第三章 占領と戦後改革
   第四節 戦後教育改革
    三 戦後の文化運動と社会教育
      初期公民館の活動
 しかしながら、こうした初期の公民館のなかには、公民館を地域の文化と産業の復興の拠点として、いきいきとした活動を展開したものがみられた。福井県では、一九四七年(昭和二二)から五〇年にかけて、いくつかの公民館が、文部省の全国表彰をうけている。
 丹生郡殿下村の殿下公民館は、新制中学校に併設され、専任の職員をもたない山間部の公民館ではあったが、四七年一一月、最初の「優良公民館」四館の一つとして表彰された(文部省後援)。翌年三月には、同公民館を会場に北陸三県の公民館長会議が開催された。
 殿下公民館の活動は、政治や衛生、生活改善について学習する「婦人公民館学校」や宗教講座、巡回文庫、農業団体や青年団が中心となった増産協議会、農業技術講習会、体育会、栄養講習など、いわゆる文化活動にかぎらず広範にわたっていた(横山宏・小林文人『公民館史資料集成』)。四八年三月には、「公民館は村民の輿論を纏める所」として機関誌『村の新聞』が創刊された。この機関誌は、翌年に青年団機関誌と合併して『かじか』と改称されたのち、青年団が編集し公民館が発行する形態をとり、町村合併の動きがでてくる五七年二月までに八六号が刊行された。
写真66 『かじか』創刊号

写真66 『かじか』創刊号

 また、四八年に優良公民館とされた大野郡勝山町公民館は、青年団活動や文化活動のたかまりを背景に、四七年五月に町議会でその設置を承認されたものであった。勝山町公民館は、県内でも数少ない専任館長をおき、三名の専任職員を有していた。公民館が発行した『町の新聞』は、町議会の予算審議状況や町の財政事情、中学校増築、県立高校誘致など町政の主要課題を積極的に報じ、文字どおり町の広報誌としての役割を果たしていた。さらに新憲法写真展、簡易結婚式、勝山地区文化団体協議会の開催、両親学級、すぐれた論文や文学に対する公民館賞の制定、図書室設置などの活発な活動が展開された(『町の新聞』、『勝山市史』通史編3)。
 また、四九年に準優良公民館とされた敦賀市公民館は、都市部での公民館運営が一般的に困難であったなかで、夜間三か月にわたる労働学校や、公会堂での演奏会が企画され、中都市における公民館として評価されたものであった(横山宏・小林文人『公民館史資料集成』)。さらに翌五〇年には、三方郡十村公民館が準優良公民館に選ばれている。
 このように初期の公民館は、行政機関・諸施策が整備されない戦後初期の状況のもとで、政治、産業、保健・衛生、生活改善、広報など多様な領域で活動が行われた。この時期に注目されたこれらの公民館が、予算・施設・人的配置の極端な不備にもかかわらず、地域住民の生きた拠点となりえたのは、この時期にさまざまな要求からつくられた地域住民の多様な団体・サークルに支えられていたことによるといえるだろう。



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