目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    四 労使関係の再編と労働運動
      二・一ストと労働戦線統一
 一九四六年(昭和二一)秋、読売・国鉄・東芝などの大規模な解雇反対争議があいつぐなか、産別会議は傘下組合の人員整理反対、賃上げ要求などを闘争目標として一〇月闘争を提起した。この闘争は広範な産業部門に波及し、とくに電産は、停電ストという戦術で闘争にのぞみ、一二月には「電産型賃金」という生活保障給を柱とする賃金体系を獲得した。
 これらの争議を通じて民間労組では解雇撤回(読売をのぞく)、賃上げなどの成果を獲得したが、これに続いて官公庁労組の待遇改善闘争が展開された。四六年一一月、全官公庁労組共同闘争委員会(共闘)が結成され、政府に対して越年資金の支給、最低賃金制の確立などを要求した。この官公庁労組の闘争は、交渉相手が政府であったこともあって、やがて二・一ストという吉田茂内閣打倒を企図した政治的色彩の濃い闘争に発展していくことになる。共闘は、四七年一月一一日、第二回要求書を提出し、一五日には産別会議、総同盟などとともに全国労働組合共同闘争委員会(全闘)を組織して官公労・民間を含めた全国規模のゼネラル・ストライキの決行へと盛上りをみせる。
 福井県では、全逓と国鉄が中心となって闘争が展開され、両者の青年部は、四六年末に県官公労青年協議会を結成して共同闘争態勢をとった。また、同年一一月末に産別、総同盟所属の各労組と社会・共産両党によって発足した福井県生活権獲得共同闘争委員会は官公庁労組の闘争を支援し、翌年一月二四日には同委員会と産別、総同盟によって全国労働組合共同闘争委員会県委員会が設立された(『福井新聞』47・1・26)。このころまでに全逓、国鉄、北陸配電、日通、財務、気象の各労組福井支部はスト体制を確立していた。
 周知のように、スト決行の前日一月三一日の総司令部によるスト中止指令により、ゼネストは未然に回避された。スト中止後、労働戦線内部で二・一ストを反政府闘争と位置づけた共産党と産別会議に対する批判が高まるが、他方、闘争を通じて高まった労働戦線統一の気運はそのまま引き継がれ、四七年三月一〇日、産別会議、総同盟、中立系組合が結集し、いわゆる「ゆるやかな統一戦線」として全国労働組合連絡協議会(全労連)が結成された。
 福井県では、スト中止直後の二月四日に、総同盟、産別、国鉄、全逓、日通、電産、気象などの組合が参加して全労県労働組合会議(福井地労)が結成されたが、四月一〇日にはこれが発展的に解消して福井県労働組合協議会(県労協)が誕生し、四七年末現在で県下全労組の約八割に相当する約二〇〇組合を組織し、福井県の労働運動を指導していった。
 一方、このような労働組合の戦線統一の動きに対抗して経営者側でもその結集がはかられ、四七年五月二五日、経営者相互の連絡啓発、労働および社会問題・企業経営上の諸問題に関する調査・研究を行うことを目的として福井県経営者協会が結成された。



目次へ  前ページへ  次ページへ