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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    四 労使関係の再編と労働運動
      地方労働委員会
 一九四六年(昭和二一)三月一日、同日施行の労働組合法にもとづいて、中央と都道府県に労働委員会が設置された。労働委員会は使用者委員、労働者委員、および第三者委員(中立委員、四九年改正労組法では公益委員)で構成され、労働争議のあっせん・調停・仲裁、不当労働行為(組合活動を理由とする解雇その他の不利益待遇)の審査、労働組合の資格審査などを職務とする行政委員会である。労働三権を前提として団体交渉を通じて労働条件を決定するというあらたな労使関係の枠組みにおいては、その過程で生じるであろう労使間の紛争を解決する手続きとして、この労働委員会の設置は不可欠であった。
 福井県地方労働委員会(地労委)の場合、使用者委員は福井県商工経済会(のち福井県経営者協会)が推せん母体となり、労働者委員は労働組合が推せん母体となったが、のちに労働戦線の分裂のもとでその推せんをめぐって紛糾することもあった。しかし、発足当時の地労委の委員には労働法規の理解にとぼしい者も少なくなく、また労働者委員のなかで利益代表としての資格が疑問視される者もあった。中央労働委員会では発足当初からあいつぐ大規模な争議の調整に翻弄されたのに対し、地労委レベルでは委員会に持ちこまれる争議はなく(四六年の県下争議発生件数は九件)、県内企業に組合結成の手続きを指導し、届出書を審議・承認することが中心的な仕事であった。
 地労委で争議の調整が最初に行われたのは、四七年三月の福井工作の工場閉鎖をめぐる争議(あっせんにより、工場閉鎖の承認と退職金支給で解決)であり、以後、つぎにみるような四七年秋からの争議の盛行を背景として地労委に係属となる案件が増加していった(図39)。五五年末までの発足後一〇年間の県内の争議発生件数は三九五件であり、うち地労委の取扱件数は一三二件であったが、ほとんどが「あっせん」で、「調停」は七件、「仲裁」は皆無であった。
図39 月別労働争議件数(1946年3月〜50年12月)

図39 月別労働争議件数(1946年3月〜50年12月)

 また、旧労組法では不当労働行為について、使用者に違反事実があったと認定した場合にただちに労働委員会が処罰請求を行うことが規定されていた(四九年改正労組法では、労働委員会の命令により使用者の行為を中止させ労使関係の原状回復をはかることに重点をおいている)が、旧法下での地労委への提訴件数は六件であった。いずれも不当解雇を理由としたものであるが、和解二件のほかは却下、もしくは違反を認定しないという裁定で、処罰請求権が発動されることはなかった(『福井県地方労働委員会十年誌』)。



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