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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    一 農地改革
      市町村農地委員会の役割
 組織としての市町村農地委員会は「農地委員」「書記」「部落補助員」(いずれも身分は公務員)によって構成されていたが、その中心となるのはやはり農地委員であった。彼らの活動の主たる場である会議としての農地委員会(普通は月一回、農地改革最盛期には週一回程度開催)は、買収や売渡あるいは異議申立など農地改革にかかわるいっさいの事がらに裁定を下す、広大な権限を付与されていた。法律のうえでは都道府県知事の監督をうけ、その裁定事項については都道府県農地委員会の承認をうけねばならないことになっていたが、実際には、上から否認されることはほとんどなく、市町村当局の拘束もうけなかった(L・I・ヒューズ『日本の農地改革』)。
 農地改革遂行にあたって、より実質的な部分を担当したのが書記と「部落補助員」であった。書記は農地委員会ごとに雇われ、一委員会あたり全国平均で三名程度(福井県の場合は一、二名)おかれた。書記は買収・売渡計画の策定、委員会議事録の作成、委員会決定事項の文書化、各種報告書の作成、登記事務など膨大な行政事務や文書事務をこなさねばならなかった。したがって書記の能力には高い水準が要求され、書記のレベルがその市町村の農地改革成功の成否につながったといっても、あながち過言ではなかった。農地委員は定期的に会合をもつだけであったのに対し、書記は日常的に農地改革にかかわっていたこともあって、他県では農地委員会の実権をにぎる者すらあらわれた(大石嘉一郎・西田美昭『近代日本の行政村』)。
 「部落補助員」はだいたい大字(区)ごとに一、二名おかれ、だれの保有地か、小作地か自作地か、耕作地主か不耕作地主か、在村地主の土地か不在地主の土地かなどの買収・売渡計画の基礎となる資料を農地委員会に提供した。これはその村の事情に精通している者でなければ、なかなかできない仕事であった。
 市町村農地委員会では大字ごとに選出された「部落補助員」の調査と報告にしたがって、その市町村ごとの農地買収計画や売渡計画が樹立された。第二次農地改革は開始から二年で完了することになっており、その間に膨大な仕事量が市町村農地委員会に課せられた。しかも、農地委員会には、とくに買収計画をめぐっての地主委員と小作委員の対立をはじめとしてさまざまな問題があり、運営はかならずしも順調なわけではなかった。遠敷郡今富村農地委員会は自らの委員会を、「喧嘩口論の絶えた間なき委員会」と、いささか自虐的に述べているが、それは決して稀有な例ではなかったのである(「農地等開放実績調査」)。



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