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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    一 農地改革
      市町村農地委員の選挙
 市町村農地委員の選挙は一九四六年(昭和二一)の一二月二一日に県下いっせいに実施された。その定数配分は、一号(小作)五、二号(地主)三、三号(自作)二の計一〇名であった。ただし、地方長官が必要と認める時は、選挙前には一〇名を限度として定数を増加させたり、選挙後には全委員の同意のもとにさらに三名以内の中立委員を選ぶことができた。福井県の場合、中立委員は選ばれなかった。
写真56 市町村農地委員選挙のビラ

写真56 市町村農地委員選挙のビラ

 第一次農地改革時のそれが小作五、地主五、自作五、中立三であったのに対し、大幅に小作よりであったといえよう。ただしこの選び方の原則は、「その階層区分の基準がただ農地の所有面積と耕作面積との相対比率で決定されて、その規模が所有・耕作共に無視されるという難点」を有していたことも事実であり、その意味で、選ばれた農地委員がはたして「適格の民主的代表者」たりうるかどうか疑問視する声も多かった(『農地改革顛末概要』)。とくに福井県の場合、地主といってもその保有面積はきわめて小さい場合が多く、選ばれた委員をみると保有面積が自作の方が地主よりむしろ大きい農地委員会が少なからずあった。
 一二月二五日には、一七二の地区農地委員会の陣容がいちおう整ったのをうけて、第一回農地委員会が開かれた。しかし、この農地委員の選挙は、実施された農地委員会の数が非常に少なく、一〇九の農地委員会で無投票であった。そのうえ、投票が行われた委員会も一部だけというのが四二を占め、全階層にわたって選挙が行われたのはわずか二一委員会にすぎなかった。また、投票に参加した人の割合も全有権者数の二二%と非常に低かった(『福井県の農地改革』)。これは福井県だけの特色ではなく、全国的な傾向でもあった(投票を行った農地委員会の割合の全国平均は、小作四〇・四%、地主二二・八%、自作四三・八%)。このため、民主的改革を標榜する総司令部の強い干渉もあり、全国的な規模でリコールによる再選挙が推進されることとなった。その結果、四七年の一月から一二月までの間に、全国で二四三三名の委員がリコールされ、うち一五七〇名が再選された(『農地改革資料集成』14)。
 福井県では、福井軍政部の了解のもと、無投票一〇九地区のうち七六地区で委員の自発的な辞任による再選挙が実施された(『福井県の農地改革』)。したがって福井県ではリコールの数は非常に少なく、四七年中にわずか五名であった。なお、市町村農地委員会は、その代表者である会長を一名選出した。会長はどの階層から選んでもよかった。



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