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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    一 農地改革
      第二次農地改革の開始
 第二次農地改革関連法が公布されたのをうけて、行政レベルにおける農地改革のための準備がはじまった。まず一九四六年(昭和二一)一一月六日には改革を実施するための中核的存在となる農林省農政局農地部が設置された。この農地部が、農地改革に関するほとんどの分野に関して責任を負うことになった。ただし、未墾地の買収に関しては開拓局第二管理課が担当することとなった。また、同六日には農地事務局が全国六か所に設置され、農地部や開拓局の機能をそれぞれの管轄区域で代行することになった。福井県を含めた北陸四県を統括したのは金沢農地事務局であった(L・I・ヒューズ『日本の農地改革』)。
 福井県でも、同年一一月に県農地部が新設され、その下に農地課(経済部農務課農地係を拡充)および開拓計画課・開拓事業課の三課がおかれた。さらに、県の出先機関である地方事務所には、従来の耕地課あるいは経済課耕地係を廃止して農地開拓課が新設され、ここに県レベルにおける改革実施の行政機構が整った(「大正昭和福井県史 草稿」、『福井県の農地改革』)。
 改革実施の最前線の執行機関となるのは、独立の国家機関として設置された市町村農地委員会であり、福井県の場合一七二おかれた。
 この市町村農地委員会は、原則として各市町村を一つの管轄区域として設けられた。ただし、面積が大きいなどの理由で地方長官が必要あると認める市町村、役場事務を共同処理する町村組合が設置されている地域などでは、いくつかの地区農地委員会に分かれた。福井県の場合、福井市が五つの地区農地委員会に分かれ、町村組合設置の村は、今庄・鹿蒜村をのぞき、いずれも単村ごとに農地委員会がおかれた。注意しなければならないことは、例外はあるものの、在村地主か不在地主かを決める場合、行政区画ではなく、この農地委員会の管轄区域が基準となったことである。したがってたとえば同じ福井市でも東安居地区農地委員会の管轄区域に居住する人が木田地区に農地を持っている場合、その人は不在地主とみなされた。また鯖江町には農地委員会はおかれず、舟津村農地委員会が担当した。 



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