第一次世界大戦で、輸送手段は飛躍的に増大した。道路輸送では乗用自動車が激増し、乗用は自動車、荷積用は馬車・荷車の傾向が生まれた。福井県では、両用とも馬車と荷車が圧倒的であった。一九一六年(大正五)一月二五日の『福井新聞』は、論説「自動車の時代」で、福井から三国・芦原・丸岡・金津方面への自動車運行計画を載せ、自動車全盛時代の到来を予想し道路の改善を提言している。
同年一一月、福井市幸橋南詰で、相模茂が県内初のタクシー事業といわれるT型フォードでの送迎事業を開業した。一八年には、撚糸染工会社の坂井郡春江村方面への製品運搬など、産業用にも利用されるようになり、また、福井・大野間および福井と丸岡・金津・三国間の自動車事業計画もおこっている(『大阪朝日新聞』18・10・22)。
原・高橋両政友会内閣では、「交通機関の整備」政策のもと、一九年には「自動車取締令」「地方鉄道法」「道路法」、二〇年には「鉄道省官制」(鉄道院の昇格)「道路公債法」「道路取締令」、二一年には「地方鉄道補助法」「軌道法」、二二年には改正「鉄道敷設法」が公布され、大戦下の輸送力不足に対する道路行政の整備・地方鉄道の拡充・新輸送手段への規制という点からの施策が行われた。とくに「自動車取締令」は、激増した自動車に対する国の最初の法令で、その内容は、自動車の定義・構造基準、時速一六マイル(約二五キロメートル)、運転免許、交通事故のさいの負傷者救護・警察への申告の義務などである。 |