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第六章 中世後期の宗教と文化
   第三節 民衆芸能
    二 幸若舞
      幸若の衰退
 曲舞は一般の庶民から貴族・僧侶にいたるまで愛好されたが、なかでも戦国末期の武士たちに強く支持された。それは曲舞の語る内容の豪快さと悲哀、単調なリズムの繰返しが受け入れられたのであろう。しかし泰平の時代に入ると、もっと華やかで艶っぽいものの方に人びとの興味は移り、歌舞伎や人形浄瑠璃に芸能としての主流の座を奪われてゆく。曲舞の徒のなかには笠屋のように歌舞伎に転向する者もあったし、以前の唱門師業に戻った者もいた。幸若は猿楽のように様式美を確立することもできず、時代の要求をくみ取ることもせず、家柄の高さという誇りのなかに閉じ篭もり、庶民からは離れてしまい、自ら芸能であることをやめてしまった。しかし浄瑠璃や歌舞伎に与えた影響は大きなものがあった。初期の浄瑠璃のなかには曲舞の台本をそのまま使ったものがある。動作のほとんどない、語りを主にした曲舞を人形に演じさせ、節を浄瑠璃節に代え、楽器を鼓から三味線に代えたのである。また浄瑠璃や歌舞伎には曲舞を題材にしたものが多く、曲舞の世界を当代流に改編したものといえる。人物造形にしても、曲舞のそれを受け継いだものが多い。曲舞は語り物であって劇ではないが、ほとんどそのまま劇に移行することができる内容をもっていた。



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