目次へ  前ページへ  次ページへ


第六章 中世後期の宗教と文化
   第三節 民衆芸能
    二 幸若舞
      その他の曲舞
 曲舞は幸若と大頭の二大流派のほかに、京都の北畠や桜町の唱門師の流派があったが、さらに表71のようなものがある。

表71 諸記録にみえる諸国の曲舞

表71 諸記録にみえる諸国の曲舞

 このうちムカデヤ・かさや(笠屋)は大頭流、江戸勘大夫は岡崎勘大夫が江戸に進出したものであろう。越前幸菊は若狭幸菊の誤りであろう。記録に現われているだけでも近江・摂津・三河・若狭・加賀があり、そのほか能登にも舞々がいたことが報告されている。県内では幸若のほかに敦賀の幸鶴がおり、大飯郡高浜には幸菊らの舞々が(資9 妙光寺文書(大飯郡)一〜五号)、遠敷郡には幸福座舞々がいた(『拾椎雑話』巻一二)。
 また伝来の詳細はわからないながら、遠敷郡上中町明応寺に大般若経紙背幸若舞曲がある(『幸若舞曲研究』五)。「満仲」「笈さがし」「伊吹」の三曲のみだが、天正十三年以前の写で、現存する幸若の写本としてはかなり古いものであり、若狭の曲舞と何らかの関係があるのかもしれず注目される。



目次へ  前ページへ  次ページへ