写真304 日像塑像 若狭小浜から湖西路をたどり近江坂本を経て上洛した日像は辻説法を行ない、柳の酒屋と称した有力町衆中興宗意らを入信させ、徳治元年(一三〇六)には洛北松ケ崎の全村を改宗させるなど、着実に教団の基盤を作り上げていった。弘通にはたびたびの妨害もあったが、建武元年(一三三四)四月ついに後醍醐天皇から勅願寺の綸旨を受け、暦応四年には四条櫛笥に方一町の土地を拝領した。今小路の小庵だった京都妙顕寺はここに本拠を得たのである。これによって同派を四条門流と称した。