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第六章 中世後期の宗教と文化
   第二節 仏教各宗派の形成と動向
     四 法華宗の動き
      若狭への弘通
 それより日像は若狭路へと歩みを進めたが、敦賀から小浜までの間にはこれといった伝承がない。小浜での布教には劇的な展開があって、禅宗の僧侶素・明覚の兄弟が日像に帰依したとされている。とくに弟明覚は日像の暗殺を計るが、三十番神に守護された日像に驚き改宗したという(「妙興寺誌」)。妙興寺には日像筆の「石造曼荼羅本尊」がある。素は日禅、明覚は日善と改め、このころ丹後街道に面した「かけのわけ」(欠脇、小浜市大宮)に所在した禅宗寺院(跡地は現在の心光寺)を法華宗に改め妙興寺と称したという(同前)。しかし同寺をもと禅宗寺院とする伝承には若干の疑問もある。鎌倉末期の小浜には、文献でみる限り、嘉暦元年(一三二六)ごろに所在した時宗浄土寺(跡地は現在の妙興寺)しか見当たらず(資9 浄土寺文書一号)、記録のうえで禅宗で最も古い寺院は暦応二年(一三三九)創建の高成寺で、そのほかでは貞和三年(一三四七)に天台宗から浄土真宗へ転じたと伝える妙光寺(小浜市神田)がみられる程度である。したがって小浜では妙興寺が法華宗としては最古の寺院となるのであろうか。いずれにしても越前・若狭への法華宗の普及は日像によるもので、そののち布教の中心となっていくのが報恩寺・妙泰寺・妙顕寺・妙興寺であり、これらは弘通の本拠地として現存する。



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